[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
あるいは特に深い意味は無くても、それが気に入っていたりする人もいるでしょう。
そのような考え方まで拒絶するわけではありません。
ただ、自分は今まで何気なくヒロシマ・ナガサキと書いたこともありましたが、
自分の県をフクシマと書かれると違和感を感じたので、
広島や長崎にも違和感を感じていながら世の流れに抗えなかった人達もいたのかな、
と思い至ったわけです。それが言いたかっただけです。
また、ふくしまとひらがなで書くこともありますね。
あれはなんとなくやわらかい感じなので特に違和感は感じません。
要するに人それぞれの感覚の違いなのでしょう。
ただ、だからといって「人それぞれだから仕方ない」と片づけたくはありません。
どんなことでも、大勢がやってるからって正しいってわけではないでしょう。
自分も他人も何からストレスを受けるか分からないのだから。
何気ない言葉や行動がどこかのだれかを傷つけてるかもしれない、
というのを常に考えるべきであって・・・
しかしそんなことをいちいち考えていたら自分だけストレスがたまって、
何も言えなく(書けなく)なるのではないかという危惧はあります。
だから、思い至ったことだけでも気をつけてればいいんじゃないかと考えます。
そして、思い至らないことで指摘を受けたら、素直に反省し改めればいいのです。
・・・と、思います。 じょや
中学校のプールに金魚が大量に入れられていたニュースを見ました。
実に非道い・・・ 迷惑極まりないと思う。
金魚も可哀想だし、プールの水入れ替え費用も大変だが、
最も被害を被っているのは、中学生(特に水泳部)だと思う。
マイクを向けられた中学生、大会の練習をしないといけないのですが・・・
というようなことを言っていた。そう、犯人は水泳部の貴重な練習時間を潰したのだ。
それを、なんだ? あの報道番組のキャスターたち。笑ってたぞ?
笑いごとじゃないでしょう。怒るところでしょう。
電力会社や政治には怒っても、こういうことは笑って済ますのか。
ささいな事件か? 当事者にとっては大きなことでしょう? しょせん人ごとか?
ちょっと気になってネット(ツイッター含む)で検索してみた。
・・・しかし、キャスターが笑ってたことに対して怒ってるような書き込みは驚くほど少ない。
人の迷惑考えろとか、金魚に謝れ的な書き込みはぽつりぽつりあるのだが・・・
水泳部かわいそう、て意見は、私が検索した中では、見かけませんでした・・・
逆に目立つのは、「中学生は掃除しながら楽しそうだったからいいんじゃない」みたいな意見。
ええええええええ本気? 本気で言っていますの?
そりゃ人間いくら大変な時だって、迷惑に思ってたって、ちょっと楽しんだりするもんでしょう。
それをテレビの画面で一瞬見たからって「楽しそうだった」と断じますか!?
大会のための練習が削られたんだ、あんたたちが部員だったらどうなんだ?
サボれるイエーイみたいな中学生だった人ばっかりなのか、ネット界は!
さらには、犯人について「粋」だの「風流」だの言い出す始末。
「しゃれがきいてていいじゃないか、めくじらたてるな」みたいなコメントまで書く始末。
いやはや・・・さすがに絶句。
いや・・・まぁ・・・こんなんで驚いてちゃいけないのか、今更。
人間、ネット界に限っただけでも、これだけ意見の方向が極端に違う人達がいるもので。
たぶん、こっちの意見をまくしたてても、何を怒ってるの?ぐらいで済まされてしまうのだろう。
しかし、さすがにこれは・・・
怒らないのはオカシイと思うのですが・・・
どうなんでしょうか・・・
いやーわたくし中学生の頃は部活に燃えてたわけじゃないですよ。でもね。
でも例えば水泳部に友達がいて、プール掃除で1日つぶされて、
水の入れ替えで何日かかるか分からんけど練習つぶされて・・・というのを見たら
心の底から犯人ふざけんな!と叫ぶと思うんだけど・・・
あーー分からん。これで怒らない人口の方が多いんだとしたら・・・
もう日本人というやつが分からん。
ヒロシマとカタカナで書くのは
全世界に対するメッセージを込めるとか
なんとなくそういう意味なんだろうなと思って気にしてなかったけど
フクシマとカタカナで書かれた時に
なにかとてもイヤなものを感じた
福島は福島だろう
フクシマって何だ
まるで既に滅びた過去の都市名みたいじゃないか?
今まで勝手に「原爆の話をするときは県名はカタカナ」などと思ってきたが
それでイヤな感じを抱いていた人も広島や長崎にいたのかもしれない
そう初めて思った
現地の人でも
メッセージとしてのカタカナ表記に違和感を感じない人もいれば
ひそかにイヤだなと思いながらこらえていた人もいるのかもしれない
非現実的な出来事、信じたくない出来事として語るからカタカナがいいと言う人
いや、現実だし、遠い話にしないためにも漢字のままがいいと言う人・・・
人それぞれ、いろんな思いがあるだろうに
何も考えずにヒロシマ、ナガサキと書いていた
無神経に、無遠慮に
それが万人に共通する正しいこと、普通のことであるかのように
初めてそんなことを考え反省した
私はフクシマにはいない
福島にいる
じょやです。
放射線問題ももうそろそろうやむやにされていきそうだなと感じています。
再稼働問題じゃないんですよ。まだまだ放射線問題だと思います。
再稼働するかどうかよりも前に、いかに不安を取り除くかです。
いじめがあったかなかったかじゃなくて、
かかわった全ての人間がいかに反省し、いかに償いをするかです。
勝ってメダルを何個とったかじゃなくて、選手がどう努力しどう戦ったかです。
話はとびますが
なんかのCMで、「ひとりぼっちという現象はある意味皆無」
「生まれた時から同じ空気を吸っている」云々と語っていました。
そりゃ、ある意味皆無なんだろうけど、他の多くの意味では「ひとりぼっち」ですよ。
親から愛を、友から情を受け取って、優しさとかを学んで、
やっとのことで人間は「ひとりぼっち」じゃなくなるんすよ。
「ひとりぼっち」を認識して、それを乗り越えるのは並大抵の努力じゃないんすよ。
それを「ある意味皆無」なんてそんな簡単な言葉で片づけないでほしいんですよ。
呼吸してりゃ、相手のことなんて考えなくても皆兄弟ですか?
そういうことを言ってるんじゃないってことは分かりますよ。
でも、どうしても文句言いたくなっちまうんですよ。
人と人が真の意味で繋がるのは、血のにじむような努力の成果。
それを知らないで、空気だけで繋がってると思うのはイヤです。
世の中、同じ人間とは思えないほど考え方の違う人もいますね。
特に、人を貶しなり困らせたり馬鹿にしたりしてばかりいる、
そんな奴らと同じ空気を吸っているのだと思わされるのもイヤです。
友達になるのは、難しいことじゃない。
イヤだと思っている相手も、きっと話せば仲良くなれる。
同じ空気を吸って生きているのだから、そんなに違わない。
アイリスなら、そんなふうに言いそうです。
7年前の夏。『新・青い鳥』。
帝都での様々な経験を経て、アイリスは世界中のみんなの幸せを
はっきりと言葉にして願うようになったのだと感じました。
簡単に考えているのではありません。
人の愛やまっすぐな心を信じているからこそ、そう考えるのです。
みんながひとり残らず幸せになれると信じる彼女の心は美しい。
だから応援したいし、その思いを守りたいとも思います。
しかし同時に、アイリスだからこそ心の底からそう言えるのだ、
自分が言葉にしても、どこかに自信の無さが出るだろう・・・
とも思います。どうしても考えの合わない相手は存在します。
「みんなが幸せ」な状態を実現するのは限りなく難しい・・・
人の幸せを奪ったり踏みにじったりして幸せになってる奴ら。
アイリスのような優しい子に危害を加えても反省しなさそうな奴ら。
そんな奴らと一緒に幸せにはなれない。繋がりたくない。
そういう考えが浮かんでしまいます。
だから「みんな仲間だ」とは簡単には言えない。
人、或いは自分を励ますために強い思いを込めて言うのはいいが、
同じ空気吸ってるじゃんーてな軽い感じで言ってほしくはない。
いや、まあ・・・あのCMだって別に軽い意味で言うのでなく、
そういう考え方もあるよ、ギスギスすんなよ、寂しがるなよ、
・・・ってことなんだとは思いますが。たぶん。
でもやっぱり、あの言葉を聞くたびに軽~く感じてしまいます。
・・・CMで思い出しましたが
少し前に「タイムマシンが発明されませんように」ていうのがありました。
あれもなんか反発を覚えました。
なぜならその後に「目を閉じるだけでじゅうぶんです」と言ったから。
つまり、「自分は一瞬一瞬を大切に生きてきたから悔いは無い」
「いつでも過去の感動は蘇る」「思い出は思い出のままがいい」。
タイムマシンで見てしまってはその思いが崩れるかもしれないし、
へたにそんなものがあったらやり直しを願ってしまうかもしれない、
そうなると無粋だ、ってことを言いたいんだろうと思うのですが・・・
そういうことなら、「発明されませんように」じゃなくて、
「私にはタイムマシンは要らない」と言えば良かったんじゃないかと。
だって別に発明されても使わなければいいだけですからね。
発明されないことを願うってのは、「あったら使っちゃうかもー」という弱い意志のあらわれ・・・
だとしたら「目を閉じるだけでじゅうぶん」という言葉と矛盾する・・・と思ってしまったのです。
あ、でも・・・あれか。
携帯電話なんて発明されなければ良かったのに!
便利だから使っちゃってるけど、発明さえされなければ
古き良き時代が続いたのに!・・・という微妙な思いと一緒か。
それなら分かります。
そうすると、実は「タイムマシンがあれば昔に行ってみたいわ~」
という思いの裏返し、照れ隠し、自分への皮肉か。
または、欲しいけど無い、そんなもどかしさの中に生きるほうがいいという不思議な感覚か。
だったら深いな~ 言葉通りなら別に深くないな~ と思う私は変わり者ですか。
実際タイムマシンあったら、歌謡ショウ観にいきますよ。
なにがなんでも。永遠に終わってほしくないと思ってたし。
とても「目を閉じるだけでじゅうぶん」とは思えない。
いくら記憶が鮮明でも、美しくても・・・
実際に観ている時の感激には敵いませんから。
まぁ・・・この時期になると何の話題でも歌謡ショウに繋がるわけです。
未練がましい? 思い出に浸りすぎ? 何とでも言ってください。
それほど良いもの・・・でっかいものだったんですよ、あれは。
これほどまでスキップの似合う少女が、かつて存在しただろうか。
ここまで似合うのは、アイリスだけだ。アイリスだからこそ、である。
そして、これからも現れないだろう。
しかも、しかもだよ。絵じゃないんだ。アニメでもないんだよ。
実際に、3次元で、舞台の上で、観ることができたんだよ。
にこにこしながらスキップしている妖精のような少女、アイリスを。
信じられるか? 否、実際に観た者にしか分からないんだろうな。
サクラ大戦。歌謡ショウ。そこでは数多の奇跡が繰り広げられた。
その中でもアイリスの奇跡は、ひときわ強く強く輝き、心に刻まれている。
宇宙一スキップの似合う少女を再現できる舞台女優。
それは、後にも先にも、西原久美子さん、ただひとりである。 じょや
じょや(福島県在住)です。
子どもの頃に自分の住んでる県の「浜通り」ってところに原子力を使った発電所があると知った。
原子力って・・・あの「ゲンバク」の? 図書室で見たあの酷いゲンバクの。地獄絵図の。
誰に聞いたか覚えてないがこう聞いたと思う「危なくないの? 爆発したら俺たち終わり?」
応えは「うんまぁ終わりだろうな。でもまぁ爆発はしないんじゃねぇかな多分・・・」
・・・多分。確率。確率の問題。自分が交通事故に遭う確率。飛行機が落ちる確率。
隣が火事になる確率。ドロボーに入られる確率。それよりは高い?低い?・・・何%?
とにかく「絶対無いとは言えない」んだ、それは分かっていた筈だ。心のどこかに不安があった筈。
でも「まさか」起こるまい。「そこまでのことは」起こらないだろう。
・・・こうして「それ」が起こってしまってから思い出すと、果てしない疑問と矛盾を感じる・・・
これは森が無くなって自然が滅ぶかもしれないと焦りながらも伐採を許し続けるのと同じこと?
原発が爆発した直後・・・去年の春は「汚染」という言葉に反発を覚えた。
どうにか風評被害を止めるべきだ、と思った。
だから「ここは汚染されてない!物資を届けてくれ!」と訴える絵を描いた。
1人でも2人でも見てくれればと思った。
実際、汚染を怖がって誰も物資を届けてくれなくなればこの県は終わりだと思ったのだ。
しかし今はもう「汚染されてない!」とは言い切れない。
自分自身がそういう意識になってしまった。
国の指定する規準の範囲なら大丈夫だ、と信じ切ることができない。
みんな嘘かもしれない。危険な状態なのに隠されているのかもしれない。
あるいは本当に誰も放射線の影響を見定められないのかもしれない。
どちらにせよ、実際に全ての影響が見えてくるのは、何十年後かもしれない。
「爆発するかもしれない不安」が「蝕まれているかもしれない不安」に取って代わっただけだ。
何もかもが解消される日は来ないのかもしれない。
それでも自分を保ち何かを守り生きていくしかない。
我々は生き延びたのだから。断たれた人たちの無念を考えれば、躊躇していられない。
原発について考えても
最終的にどうしたらいいか分からないから
思考がそこで終わる
他にやりたいこともやるべきことも多い
そっちをやってないと自分の精神が保たない
報道は原因や責任をもっと追及すべきだと言うが
正直そんなことはもうどうでもいい
どうせ全てが明らかになるわけがない
はっきりしてほしいのは「これからどうするべきか」
それについて100%自信を持って言える者がいない
自分もそうだから不甲斐ない
「知ろうとしなかった」「問題視してなかった」
だからよく分からないし行動できない
そうして自分の生活で手一杯だから
政府も報道も嘘だらけと思っていながら動けない
遠くへ逃げることは今の生活を棄てること
こんなに危険物の近くにいて不安が無い訳がない
恐怖を押し込めて蓋をして平気なフリをしている
みんな本当は叫びだしたいんじゃないのか?
叫べばいいんじゃないか?
叫ぼう!
・・・しかし叫べない
半信半疑で計測し除染し
気休めと思いながらもそれしか無いのだ
あの原発爆発の映像を見た瞬間を忘れるな
あの恐怖と戦慄と喧騒と沈黙を忘れるな
慣れて平気になったり忘れたりしてはいけない
我々は今もこれからもパニックの中にいるのだ
何年か前まで正月とは じっくり眠って食べて英気を養いつつ
今ごろ帝国歌劇団花組さんたちは我々に喜びを与えるため正月返上で
稽古してくれてるんだろうなと思いを馳せ じーんとなりながら上京の準備をし
そして実際に新春歌謡ショウの舞台を観て感動し笑い元気をもらい涙を流し
アイリスに癒されまくって満足して七福神のような顔になって帰途につく
そういうものだった 今は寒さと迫り来る新しい年の重圧になんとか抗って
震えながら生きている 俺もアイリスのように勇気を出せるだろうか
アイリスのようにだれかを笑顔にできるだろうか 元気にしてもらうばかりじゃなく
希望をもらったぶん頑張らないといけないのだと思い始めてから数年
俺は変われたのだろうか 何かできるようになったのだろうか
胸を張ってまたアイリスに会いにいける そういう者に私はなりたい
特に上の2つは自分にとってはすんげー嬉しいものです。
■ゲーム『零の軌跡』のドラマCD<レン物語><零の軌跡第一章>キャラアニから12月に
発売決定 これについて詳しくはネメシスリップ ↓ に書いています。
http://nemesislip.kage-tora.com/
これは個人的にずっと待ってたものなので嬉しくてひとりで興奮中です。
これに関する情報や、レンちゃんも出てくるミニドラマが聴けるファルコムラジオも配信中ですね。
第5回と第6回のゲストに西原さん。
■ゲーム『空の軌跡』のアニメの前編が11月下旬に発売されます。
上映会イベントに行ってきましたが、それも詳しくはネメシスリップで。
とにかく、レンちゃん可愛いですよ。予約予約。
後編でレンちゃんが活躍できるかどうかはスタッフさん達の腕次第と思ってます。
■アニメ『スクライド』の劇場版にご出演されるようです。
■アニメ『プリキュア』の劇場版にもクレッシェンドトーン役でご出演されるようです。
それじゃCMにならんかもだけど。
紙はまだ死なない。 紙使いだって困るでしょ。
・・・別に、ipadを否定するわけじゃないです。あれはあれでいいと思う。
今まで出来なかったことがいろいろできるようだし。
ただ、あれで「読書」する気にはなれないな、まだ。 まだというか、ずっとかも。
あと「お絵描き」も紙だな やっぱり じょや
1は平日なので断念しましたが、2は断念しませんでした。
3があっても4があってももう断念しないつもりです。あってほしいと思います。
日本武道館という場所に初めて行きましたが いやーでっかいですね。
そして出演者の人数が凄まじいものになっていましたね。
アイリスちゃんに関してのみ感想を書きますと
アイリスはやっぱりめちゃくちゃ可愛い。
みんながいて、一緒に歌って踊れるこの状況を目一杯楽しんでる
そんなアイリスちゃんが確実にそこにいる。
あの笑顔 あの歌声 あのダンス あの動き
全てが可愛い。どうしてあんなに可愛くできるのか。
DVDやブルーレイしか見られない人は、あの動きの全てを見ることはできない。
そうするとあの完璧なる「可愛さ」を100%は堪能できないってことになる。
現地に行って生で観た者の特権と考えればいいのですが、
どうにか伝えたいんです。観てほしいんです。あの可愛さの全てを。
だから自分ばかり観て後ろめたいというのもあるけど、
DVDには映らない所でやってるようなあの細かい動作、誰かと手を取り合って
踊っている様子などを、全てのアイリスファンに見せられないことが口惜しい。
歌とダンス、すばらしい。
新しい振り付けもあって、種類も多くて、あの全部をあの大人数で合わせているのも凄い。
そして歌い方も踊り方も本当に本当に「アイリス」。さすがとしか言いようがない。
要望としては・・・もっともっと花組・星組の会話が聞きたい。
あの大量の歌にプラスして会話も増やす、となると相当きびしくなるとは思いますが・・・
しかしもうアドリブでもいけると思うんですよ。特に帝都花組さんは慣れてそうだし・・・
いや、特に花組はきちんと厳しく選ばれた台詞を言わねば!という思いがあるのかもですが。
巴里組や紐育組のいろーんな人とアイリスが会話してる様子とか本当に見たいです。
あの新春歌謡ショウみたいに、みんなで遊ぶのとかも見たいです。
それだと花組さんたちもあんまり緊張せず楽しめるだろうし
アイリスが楽しくて興奮してはしゃいでるのなんて可愛くてしょうがないし
ちょっと似たようなシーンは今回、1回だけありました。
それは帝都・巴里・紐育の面々をかえでさんとラチェットがバラバラな順番で並ばせ、
後から「これは・・・いっちゃってる順です」というものでした。
すごく訳分かんないけど面白いことは面白かった。
アイリスは真ん中辺りでした。
「安心して何かを任せられる」と「何かを任せるならかなり大ばくち」の真ん中が
「なにかと笑いを提供」というのがほんわかしましたが
アイリスはしっかりした面もあるし、はちゃめちゃな所もある。
いろんな魅力のある子なのだと再認識。カンナとのやりとりも良かった。
マリアさんはまともな方の1位でしたが「ん?ん?歌謡ショウだと違うんじゃないか?」
と正直思いました。
ああいうシーンがもっとあると良かったな~ とにかく、からみがもっと見たいわけです。
贅沢でしょうかね。
歌と踊りと動きであんなに可愛いアイリスが、
会話で更にその超絶な可愛らしさをこれでもかと発揮しますからね。
ライブしか知らない方々がいるとしたら、そこのところをもっと伝えたいものですが。
過去のDVDで補っていただくしかないか・・・、生の舞台ほどとは言えないまでも。
グリシーヌ・花火・大神の3人でクリスマストークショウが予定されていますね。
ああいうふうに何人かで何かを催すってのも、どんどんやっていただけたら!
長時間、アイリスの可愛さにトロけすぎてどうなるか分かりませんが。
笑ってしまった。何故「人気」とつける? つけなくていいでしょ。いや、つけないでくれ、腹いたい。
「人気ライダー」って・・・。「仮面」はどこへいったんだ。
「人気ライダー」でもすぐ「仮面ライダー」って分かるほどの知名度だからいいんだけど。
「人気ウルトラマン」とか「人気ドラえもん」とかも言うんだろうか?
どうにも間が抜けている。
なんでこう、なんでもかんでも「人気」ってつけないと気がすまないんだろうな。
人気映画、人気タレント、人気キャラ、人気漫画、人気アニメ、人気声優?
どっからが人気で、どこまでが人気無いんでしょうか?
そのもの・その人を知らなくても、「人気」とつければ集まる人が増えるんですか?
仮面ライダーとプリキュアが来るよ、と言った方が普通にイイのに。
「人気」という言葉に誘われて来る人がいるというのですか? 信じがたいな。
俺のように違和感を感じる人の方が少ないというのですか? 信じがたい。
「人気」とつくだけで何か陳腐なものに感じる。
もう人気ナントカはヤメてくれ。あと「国民的」もヤメてくれ。