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じょやです。

どこかの市で『はだしのゲン』閲覧禁止にしたというニュースで衝撃を受けました。
いや、「禁止」じゃないな。「学校では許可を得ないと読めない」状態になったのか。

ニュースを見た時、文字通り口をあんぐり空けて、あきれてしまった。
描写が残酷? 子供が見るべきじゃないシーンがあるって?
そんなことを言ったら、テレビも映画も雑誌もみーんな禁止でしょ。
禁止じゃなくて許可が要るようになっただけだって?
じゃあ子供が「読みたい」って言ったら、誰の判断で許可するんです?
担任ですか? 校長ですか?
もし自分が担任とか校長だったら許可の出し方に悩むと思うな。
子供に対して、あなたは落ち着き無いからダメ、あなたは思慮深いからOKだとか?
そんなことを言うんですか? いやー無理でしょう。
市に逆らって密かに学級文庫に置いたら懲戒免職かな?

それにしてもあれですね。
「陳情によるもの」ってのがひたすら怪しいですね。
そんなこと陳情する人々って、どういう人々なのか。
陳情とはどの程度のものだったのか。
そしてそれに市や教育委員会が屈しなければならない理由は何だったのか。

表現規制は、こうして色んな方向からボツリボツリ始まっていくのでしょうか。
そうして広がり深まってしまうのでしょうか。
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一方で、フクシマとカタカナで書くことで何らかのメッセージをこめていたり、
あるいは特に深い意味は無くても、それが気に入っていたりする人もいるでしょう。
そのような考え方まで拒絶するわけではありません。
ただ、自分は今まで何気なくヒロシマ・ナガサキと書いたこともありましたが、
自分の県をフクシマと書かれると違和感を感じたので、
広島や長崎にも違和感を感じていながら世の流れに抗えなかった人達もいたのかな、
と思い至ったわけです。それが言いたかっただけです。

また、ふくしまとひらがなで書くこともありますね。
あれはなんとなくやわらかい感じなので特に違和感は感じません。
要するに人それぞれの感覚の違いなのでしょう。
ただ、だからといって「人それぞれだから仕方ない」と片づけたくはありません。
どんなことでも、大勢がやってるからって正しいってわけではないでしょう。
自分も他人も何からストレスを受けるか分からないのだから。
何気ない言葉や行動がどこかのだれかを傷つけてるかもしれない、
というのを常に考えるべきであって・・・

しかしそんなことをいちいち考えていたら自分だけストレスがたまって、
何も言えなく(書けなく)なるのではないかという危惧はあります。
だから、思い至ったことだけでも気をつけてればいいんじゃないかと考えます。
そして、思い至らないことで指摘を受けたら、素直に反省し改めればいいのです。
・・・と、思います。 じょや
じょやです。
中学校のプールに金魚が大量に入れられていたニュースを見ました。
実に非道い・・・ 迷惑極まりないと思う。
金魚も可哀想だし、プールの水入れ替え費用も大変だが、
最も被害を被っているのは、中学生(特に水泳部)だと思う。
マイクを向けられた中学生、大会の練習をしないといけないのですが・・・
というようなことを言っていた。そう、犯人は水泳部の貴重な練習時間を潰したのだ。

それを、なんだ? あの報道番組のキャスターたち。笑ってたぞ?
笑いごとじゃないでしょう。怒るところでしょう。
電力会社や政治には怒っても、こういうことは笑って済ますのか。
ささいな事件か? 当事者にとっては大きなことでしょう? しょせん人ごとか?

ちょっと気になってネット(ツイッター含む)で検索してみた。
・・・しかし、キャスターが笑ってたことに対して怒ってるような書き込みは驚くほど少ない。
人の迷惑考えろとか、金魚に謝れ的な書き込みはぽつりぽつりあるのだが・・・
水泳部かわいそう、て意見は、私が検索した中では、見かけませんでした・・・

逆に目立つのは、「中学生は掃除しながら楽しそうだったからいいんじゃない」みたいな意見。
ええええええええ本気? 本気で言っていますの?
そりゃ人間いくら大変な時だって、迷惑に思ってたって、ちょっと楽しんだりするもんでしょう。
それをテレビの画面で一瞬見たからって「楽しそうだった」と断じますか!?
大会のための練習が削られたんだ、あんたたちが部員だったらどうなんだ?
サボれるイエーイみたいな中学生だった人ばっかりなのか、ネット界は!

さらには、犯人について「粋」だの「風流」だの言い出す始末。
「しゃれがきいてていいじゃないか、めくじらたてるな」みたいなコメントまで書く始末。
いやはや・・・さすがに絶句。
いや・・・まぁ・・・こんなんで驚いてちゃいけないのか、今更。
人間、ネット界に限っただけでも、これだけ意見の方向が極端に違う人達がいるもので。
たぶん、こっちの意見をまくしたてても、何を怒ってるの?ぐらいで済まされてしまうのだろう。
しかし、さすがにこれは・・・
怒らないのはオカシイと思うのですが・・・
どうなんでしょうか・・・
いやーわたくし中学生の頃は部活に燃えてたわけじゃないですよ。でもね。
でも例えば水泳部に友達がいて、プール掃除で1日つぶされて、
水の入れ替えで何日かかるか分からんけど練習つぶされて・・・というのを見たら
心の底から犯人ふざけんな!と叫ぶと思うんだけど・・・

あーー分からん。これで怒らない人口の方が多いんだとしたら・・・
もう日本人というやつが分からん。
じょやです

ヒロシマとカタカナで書くのは
全世界に対するメッセージを込めるとか
なんとなくそういう意味なんだろうなと思って気にしてなかったけど
フクシマとカタカナで書かれた時に
なにかとてもイヤなものを感じた

福島は福島だろう
フクシマって何だ
まるで既に滅びた過去の都市名みたいじゃないか?

今まで勝手に「原爆の話をするときは県名はカタカナ」などと思ってきたが
それでイヤな感じを抱いていた人も広島や長崎にいたのかもしれない
そう初めて思った

現地の人でも
メッセージとしてのカタカナ表記に違和感を感じない人もいれば
ひそかにイヤだなと思いながらこらえていた人もいるのかもしれない
非現実的な出来事、信じたくない出来事として語るからカタカナがいいと言う人
いや、現実だし、遠い話にしないためにも漢字のままがいいと言う人・・・

人それぞれ、いろんな思いがあるだろうに
何も考えずにヒロシマ、ナガサキと書いていた
無神経に、無遠慮に
それが万人に共通する正しいこと、普通のことであるかのように

初めてそんなことを考え反省した

私はフクシマにはいない
福島にいる

じょや(福島県在住)です。

子どもの頃に自分の住んでる県の「浜通り」ってところに原子力を使った発電所があると知った。
原子力って・・・あの「ゲンバク」の? 図書室で見たあの酷いゲンバクの。地獄絵図の。
誰に聞いたか覚えてないがこう聞いたと思う「危なくないの? 爆発したら俺たち終わり?」
応えは「うんまぁ終わりだろうな。でもまぁ爆発はしないんじゃねぇかな多分・・・」
・・・多分。確率。確率の問題。自分が交通事故に遭う確率。飛行機が落ちる確率。
隣が火事になる確率。ドロボーに入られる確率。それよりは高い?低い?・・・何%?
とにかく「絶対無いとは言えない」んだ、それは分かっていた筈だ。心のどこかに不安があった筈。
でも「まさか」起こるまい。「そこまでのことは」起こらないだろう。
・・・こうして「それ」が起こってしまってから思い出すと、果てしない疑問と矛盾を感じる・・・
これは森が無くなって自然が滅ぶかもしれないと焦りながらも伐採を許し続けるのと同じこと?

原発が爆発した直後・・・去年の春は「汚染」という言葉に反発を覚えた。
どうにか風評被害を止めるべきだ、と思った。
だから「ここは汚染されてない!物資を届けてくれ!」と訴える絵を描いた。
1人でも2人でも見てくれればと思った。
実際、汚染を怖がって誰も物資を届けてくれなくなればこの県は終わりだと思ったのだ。

しかし今はもう「汚染されてない!」とは言い切れない。
自分自身がそういう意識になってしまった。
国の指定する規準の範囲なら大丈夫だ、と信じ切ることができない。
みんな嘘かもしれない。危険な状態なのに隠されているのかもしれない。
あるいは本当に誰も放射線の影響を見定められないのかもしれない。
どちらにせよ、実際に全ての影響が見えてくるのは、何十年後かもしれない。

「爆発するかもしれない不安」が「蝕まれているかもしれない不安」に取って代わっただけだ。
何もかもが解消される日は来ないのかもしれない。
それでも自分を保ち何かを守り生きていくしかない。
我々は生き延びたのだから。断たれた人たちの無念を考えれば、躊躇していられない。

じょやです
原発について考えても
最終的にどうしたらいいか分からないから
思考がそこで終わる
他にやりたいこともやるべきことも多い
そっちをやってないと自分の精神が保たない
報道は原因や責任をもっと追及すべきだと言うが
正直そんなことはもうどうでもいい
どうせ全てが明らかになるわけがない
はっきりしてほしいのは「これからどうするべきか」
それについて100%自信を持って言える者がいない
自分もそうだから不甲斐ない
「知ろうとしなかった」「問題視してなかった」
だからよく分からないし行動できない
そうして自分の生活で手一杯だから
政府も報道も嘘だらけと思っていながら動けない
遠くへ逃げることは今の生活を棄てること
こんなに危険物の近くにいて不安が無い訳がない
恐怖を押し込めて蓋をして平気なフリをしている
みんな本当は叫びだしたいんじゃないのか?
叫べばいいんじゃないか?
叫ぼう!
・・・しかし叫べない
半信半疑で計測し除染し
気休めと思いながらもそれしか無いのだ
あの原発爆発の映像を見た瞬間を忘れるな
あの恐怖と戦慄と喧騒と沈黙を忘れるな
慣れて平気になったり忘れたりしてはいけない
我々は今もこれからもパニックの中にいるのだ
じょやです。原発や地震のことを忘れているわけではありません。
忘れようと努めているわけでもありません。ただ前に進むしかないと思っているだけです。
元気も出てきましたし。観劇してきて素晴らしいエネルギーを得ましたから。

正直なところ、新幹線から上野駅に降り立った時点で放射線調査の検問があるんじゃないかとか
宿泊する時に、どこから来たか言おうものなら拒否されるんじゃないかとか
「まさか」と思いながらも心の底では「あるかもしれない」と恐れていた自分
…知り合いはみんな普通に接してくれましたし、大部分は杞憂だったのかなと思っています。

政府については、総理が辞めるとか辞めないとか本当にどうでもいいんで敢えて言及しません。
周りでわーわー言ってる方々についても何も言うことはありません。

原発事故直後、福島県は汚染されていない!と主張していた自分も
今では、実際はあの時点からそう言えない状況だったんだな、とため息。
なぜ逃げないのかと言えば、何も判断つかないし、ここで今やるべきことも山積みだから、としか。
それに本当に影響が心配されるのは子ども達。オトナは何十年後にどうなろうがさほど影響ない。
だからオッサン政治家なんかが福島県の食品をうまいうまいなどと言って食べて見せても無意味。

原発の恩恵もあって福島県は発展してきたんだから今更文句言うななどと言う人もいるようですが
別にそんな恩恵感じた例しは無いなー 携わっていた方々ぐらいでしょう。
で、たとえ携わって恩恵受けていたにせよ、文句言っちゃいけないってことにはならんでしょう。
信用してたわけで、その信用が裏切られたわけだから。不可抗力などと言っても裏切りは裏切り。

特に子どもや若い世代には何も言えないでしょう。
オトナの中には原発に反対だった人もいたしプルサーマルだけはヤメロという人もいた。
だが既にだいぶいいオトナの自分だって、そんなこと知ったのは最近です。
知ってさえ、なにやら危険が大きいのか、心配だなあ、でもまぁ大丈夫だろうぐらいの認識。
ずっとずっと前に見た記憶のあるプルサーマル反対の看板の映像が浮かびます。
あの看板も、ちらっと見ただけで、その時は別に何も感じず、考えず、調べようともしなかった…。
オトナでさえ知識無ければこのザマ。子どもの頃にいったい何を知り何ができるというのか。

基準値などと言われても、ころころ変わるものが心の拠り所になる筈もないです。
「1年間に海に流してもいい基準値」? そんなものも初めて聞いた…。
要するに、何も起きなくても、微量だったら常に流れてたってことを意味するんでしょうか?
まぁそうなんでしょうね。他の国も「空気や海に毒を混ぜてもいい基準値」とかあるんですかね。
…と、まぁ、危ういことの全てが世界中で隠蔽されているんじゃないかって疑いも出てくるわけです。
4/20 下の方に追記

じょやです。 え、なに? 福島県から来た子どもが差別にあっているって?
他県の子どもが悲鳴をあげて逃げたり、露骨に避けたりするって?
ネットではけっこう前から騒がれていたようですが、少し遅れてテレビ報道も始まったんですかね。
どのぐらいあるんだろう? それ。 少ないことを祈りますが。
多かったら、どうしようもない国だねいよいよ。いや、申し訳ないけどホント駄目社会でしょ。
多かったらね。少なくても、うんざりはうんざりだけど、ごく一部のことならまだ救いはあるかなと。

ん? 原発の情報がハッキリしないから怖がるのもしょうがないって? 責められないって?
いやいや何を言ってるんだ、責めていいでしょ、そんなの。あからさまな差別じゃないか。
道徳心の欠如でしょう。子どもだから許される? そんなわけはない。
差別された子どもの気持ちを考えたら、許してはいけない。
これは情報の少なさとかのせいにする問題ではない。親それぞれの教育の問題だ。

教育委員会が対処する~? ははは、学校で何言っても微々たる効果しかないでしょう。
先生の話を聞いて、思いやりある子は思いやりレベルがアップするかもしれないが。
平気で差別をして悪いとも思わないような子どもは、変わらないでしょう。
そういう子は、親の意識が低レベルだから。親の意識が変わらないなら、子も変わらない。
教育関係に期待するよりも先に、ひとりひとりの親の意識改革が必要です。

アメリカでエイズに感染した子どもが周囲の差別や偏見に耐えながら生きてきた。
折しも、そんな番組を見ました。親が「あの子に近づいちゃだめ」とか言う。
放射線差別も同じようなことになるのかなと思った。

「あいさつするたび、友達増えるね」?
あいさつするたび、悲鳴あげて逃げられたんじゃ、悲しみと憎しみが増えていくだけです。
福島県から来たことを隠して生きていけっていうのか。じょうだんじゃないよ。


4/20

言葉が荒かったと思いましたので補足します。
責めていいでしょ、と書きましたが、無知ゆえに「結果的に」差別行為をしてしまった子どもたちを
責めようというのではありません。それは、悲鳴をあげて逃げた子どもたちの「親」あるいは「周囲の
大人」が、「しかって諭して教えていっていいでしょ、そうしてほしい」ということです。

どうも、親も周囲の大人も「子どもなんだからしょうがない」で何もせず片づけそうな気がして…
それじゃ、だめだと思うんです。 「そんなこと言ったら相手が悲しむから、言ってはいけないよ、
言わない方がいいよ」ぐらいでもいいから、諭してほしいんです。
そうしなければ、子ども達はずっと、「自分が結果的にでも差別的行為をしてしまった」ということを、
知らされもせず、どういう言動が人を傷つけるのか分からないままに、成長していってしまう。
何も説諭せずにただ「長い目で見ればいつの日か分かるよ」では、大人の責務を放棄しています。

こういうことは、この問題以外でも、いじめ問題とか、そういうこと全般に言えることだと思います。
差別されたと感じる子ども達に、「そんなこと言うな!」とか言い返せ!などと言うのは酷です。
言い返すことなんてできない。ただただ心的被害を受け、犠牲になったまま癒されない子もいる。
そうやって闇をかかえたまま大人になる。心の傷は、完全には癒されることは無いんです。

私も子どもの頃にだいぶ言葉によって傷つけられた経験があるので、分かります。
昔、自分を傷つけた相手に十数年ぶりに会って、「昔よくいじめられたな」と平気で言えるようには
なっています。けれど、それに対して「あはは、まあコドモだったんだよ、許せ」というような言葉だけ
で簡単に許されると思っているような態度を見ると、内心穏やかでないものがあります。
こちらばかり闇をかかえていて不公平だな、と思います。

人の心を傷つけた者は、傷つけられた者と同等か、それ以上の「闇」をかかえていてしかるべき。
それが、全くそうなっておらず、ただ傷つけられた者だけがいつまでも闇をかかえて生きている
そんな世の中です。はっきり言って。今の人間社会なんて。
過去に人の心を踏みにじった者に限って、たいした反省もなく、
陽気に人生を謳歌しているという印象しかありません。
それは、誰にも教えられなかったからだと思います。人の心のことを。
大人になってから気づいて反省する人もいるかもしれませんが、それでは遅いんです。
コドモのうちに、気づかせてやらなければいけない。それは周りの大人の役目です。
とは言え、差別もいじめも、誰もその事実に気づかなかったら、どうしようもありませんけどね。
じょやです。
スーパーや何かでは、ちゃんと地元福島産の食品などを売っている。
正しい。福島産のものを選んで買ってみる。
トマトとかマジうまいな 風呂上がりのトマトまるかじりすげーうまい。
牛乳も県産だな 牛乳といえば昔から酪王か福ちゃんと決まっている
しかし11日の夕方はまた大きな揺れがあった。
揺れの恐怖だけでなく「この揺れによって原発に更なる問題が起きたら…」
という不安も常につきまとう。理不尽に網にとらわれてもがいているような状態
それがずっと続いていて抜け出せない もどかしい すっきりしない
すっきりできる日が来ることを願う
じょやです。売ってれば買うと前の日記に書きましたが
買う気になってくれてる人も、売ってなければ買えるわけがない。
安全でなければ出荷しない・出荷されてれば安全なんだから
その場合入荷しない・させない側の問題だ。 売ってください。

しかしここ数日、情報がハチャメチャ感を増しているために不信感が蔓延
これでは流通が復活に向かうはずもない。

差別は…まだまだあるというか、まさか増えていくのですか?
差別なんてする人には失望するが…
しかし今後、街ですれ違っても誰が「差別する人」か分からないので怖いです。
福島県民に「出身地を表示しろ・名札をつけろ」と言うなら、
そちらも「私は人を差別します」ってでっかい字で表示をつけといてよ。
そうやって、放射能に汚染されてないけど心は汚染されてますよって宣伝して歩いてよ。

…福島県の中でも地域差別みたいな発言があったという話を聞きました。
「やべっ**町の人としゃべっちまった」とか? …おいおい。
相手がどう感じるかを考えるとか…しなさいよ…小学校の道徳で何を聞いていたんだ。
愚かだ、愚かとしか言いようがない。あまりに愚かすぎて…ため息しか出てこない。
せめて、ほんとうに、せめて、県内だけはそういうの無しにしてくれ…

県外でも、「差別なんてするわけない」、または「放射能は怖いが余計なことは言わない」
「売ってるものは安全なんだから買う」っていう人の方が多いはず。そう信じてます。
現にそう言ってくれる人がいます。そうやって安心させてくれる心の持ち主が。
だから県内も県外もそういう方々を見習わなければならない。
こういう時に人間の精神のレベルが試されるのだ。

じょやです 二転三転する情報とかもうどうでもいいですかね
自暴自棄じゃないですよ 周りの人間は結構気楽にいこうて感じだし
自分としても ええじゃないか明るくいこうということで
ガイガーカウンターを県民に無料で配布すべきだろうとか
これから毎日天気予報と放射線予報を一緒にやるべきだろうとか
笑いながら話し そうやって冗談を言い合うこともできている
配布するのはもちろん東電でしょう
「現場で作業する人達」は犠牲的精神でやってるという印象はあるが
東電の偉い層?幹部?には遠いとこでぐだぐだやってる印象しかないからね
彼らは何でもやらなきゃいかんでしょう 物資の運搬もやってくれ
あと売れ残った福島県産食品は東電幹部がみんな食ってくれ
牛肉から出たとか出なかったとか言ってるがもう全て手遅れ
全ての県産はもう売れなくなってるし関係ない所の牛肉や野菜も売れない
それでも「分かってる」人は買って食べてくれる
売ってさえいれば買ってくれる 売ってれば買うこれ常識 でも通じない人には通じない
飲食店も飲み屋も客が来なければやっていけなくなっちまう 経済が回らない戻らない
街に出ても閑散としてる これではいけない やってる店あれば入ろう呑もう
なんでもかんでも中止にしてる場合じゃない どんどんやればいい
節電ったって 東北は東北のための節電 関東は関東のための節電
だから自分たちにできる範囲のこと以上の節約をやる必要はない
経済も心も復活させていくためにはエネルギーとカネを使うことも必要だ
すべての人間がそれぞれの役割および自分にできることを懸命に完全にやることだ
それこそが復興だ できる人はやればいい できない状況にある人は仕方ない
できることがあるはずなのに節約とか自粛とか会社の命令とかを理由にして
何もしないでいるのは間違っている 働かざるもの食うべからず
動かざること粗大ゴミのごとしだ

なんかちょっとわけわかんなくなってきた…
何万倍の汚染とか? IAEAの見解と相違とか? もはや疲れてきた。
がんばれがんばれがんばろう言われても何をがんばるんだ。
ニュース見ても頭に入らなくなってきた。何を言ってるのか意味が分からん。
もっと原発に近い人達の心境は想像するだに恐ろしい、筆舌に尽くしがたい。
というか風向きだか地形だかによっては、自分の住んでる所の方がシーベルトやらが高かったりする。
子どもや若い人がいる世帯は離れた方がいいとか言われる、だが離れられない人もいるし
自分の意志で残りたい人もいる。これを他県の人がどうこう言える問題ではない。
で、原発の中で頑張って作業してる人たちの食事とか睡眠の環境が劣悪だって?
なんでそうなるんだ。彼らの職場環境を良くしないでどうやって解決してもらおうというんだ。
それを何とかしないままに国会ではごたごたもめているって? どうなってるんだこの国は。
原発から離れた被災地だったら復活に向けてがむしゃらになれるかもしれない。
しかし近い人達は、今は不安を打ち消しながら生きていくのに精一杯だ。
もう頑張らないで、やりたいことだけ気楽にやってるしかないよ。

という気分にもなりますよ。
でも、ただ余り考えもなしに「がんばれ」言われるのと、心をこめて言われるのとでは違いますね。
それに、こういう鬱な気持ちをパーッと吹き飛ばしてくれるような人もこの世界にはいます。
そういう方の言葉を読んだり聞いたりすると、素直にありがたく思います。
そういう方々からいただいたパワーを、やる気に変えていくことは出来ています。 じょや
じょやです。つらい内容のニュースを見つけてしまった。↓ 
http://mainichi.jp/select/today/news/20110329k0000e040019000c.html?inb=tw
このようなことが起こっても、たいして大きく報道されないのは何故なのか。
しかしあまり報道すると、本人や家族や身近な方々の迷惑になる、という理由なら…分かる。

他に、日本の食品以外の製品も、外国から放射能汚染を危険視されているというニュースを見た。
おどろくべきことのように紹介していたが、おどろくことではないと思う。
世界から見れば日本など狭い島国。何百キロ離れていようが、1つの「地域」として見られて当たり前。
世界からは、既に「汚染された島」と思われているんだろう。
福島県民を差別して憎まれ口をたたいている愚か者さんたちも、外国に行けば同じ目で見られるのだ。

こんなことになってから、いろいろフォローし始めたって遅いんですよ。政府も報道も。遅い。
原発撤廃の声を高めたいのか、はたまた原発を維持したいのか。
どちらにせよ踏みにじられるのは弱い立場の人々です。

じょやです。
下の絵のセリフは、報道に向けての言葉です。

今まで「原発近くに残る(残らざるを得ない)人々の困窮を伝える報道が無い!
と思っていましたが、NHKを見ていると、少しずつそういうのも紹介し始めたようです。

まぁ・・・「やっとか・・・」という印象ですが。
3cd06c0d.jpeg


























で、し始めたってだけで、やはりまだ「原発危険!危険!」的な内容の方が遙かに多い。
高い値の放射性物質、出荷差し止め問題、集団自主避難の受け入れ先のこと。
その3つは何度も繰り返される。
最後の4つ目、「周辺地域に残る人たちの現状」を伝える内容がまだまだ少ない。
それをこそ、何度も何度もやらないと。
自主避難とか国が言うことじゃないでしょ! それよりモノを届けることを進めないと。
だって、いいんでしょ? 避難はしなくても大丈夫なんでしょ?
それともウソですか? ホントは避難しないといけないんですか?
もしそうなんだったら、避難せよとはっきり言わないと。
これでウソだったとか後で分かったら最低最悪通り越して…
なんだろう。言葉みつからないぐらいのことになりますよ。

・・・と、考えてしまうほど、曖昧な印象の情報しか得られてないってことです。
なにかって言うといちいち「今の時点では」オッケー、「ただちに」健康被害は無い、とか。
そればっか。余計不安だってば。

NHKで今「やっと」ここだから、他の局なんてまるで期待できないでしょうね。
そうでなくても、試しにチャンネル回すと呪いのように「ぽぽぽぽーん」が繰り返されるので見ない。

ピクシブで地震や原発に関係ない絵をブックマーしたり出来る気分まで回復してきました。
また、応援メッセージ入りのものも素直に気持ちを受け取れるようにも。
周辺の状況は回復してませんが、せめて気持ちだけ前向きにいこうと。

じょやです。
2011年3月25日。「東日本大震災」から約2週間経過。

私自身は震災直後よりは落ち着いてきました。
あの数日間は、ちょっと精神状態がヤバくなって心がキーキー言ってたと思います。
だからもうシヌ覚悟とかそういうつもりでいろいろ書きまくっていたんでしょう。
まだ完全にもとに戻ってはいませんが、少し、冷静に物事を見つめられるようになってきました…多分。

事態は…まだまだ好転しているとは言えません。むしろ悪化しています。特に福島県にとっては。
風評被害に差別、食品出荷差し止めばかり急ぐ政府。
原発の近くはもう生き物のいない廃墟とか思っている人いませんか?とんでもないですよ。
南相馬市には自主避難をせずに自主的に残って開業し続ける病院、戻ってきて活動する人々もいる。
そうやって頑張ろうとしているのに、
「物資が届かないから自主避難したら?」と政府。…疲れる。

そんなことを勧めるのより早く物資を届くようにするのがあなた方の仕事ではないのでしょうか。
ひさびさにテレビをつけてみたら、南相馬の市長が「経済活動を国が保証するという前提があっての
自主避難の勧めならワカル」といった内容を語っていた。その通りですね~。
そうしないと残る人が混乱し、困るばかりだ。
テレビもたまにはちゃんと伝えるじゃないか。一瞬だけど。もっと長く映しなさいよ、そこ。

だいたい情報がモヤモヤしているから不安も風評も消えないんです。
私も「汚染されてないよ!」と主張しながらも、100%の確信は持てない。知識が無いことが恨めしい。

ただ、ひとつはっきり言えること。
震災前に出荷されたものまで買わないのは、どうかしている。しかも震災後は、出荷してないだろうし。

本当に恐ろしいのは放射能汚染より心の汚染です。
マスコミは原発と政府を糾弾することが使命と考えているのかもしれません。
それは別にいいんですが、それで本当にダメージを受けるのは福島県民です。
そういうことまで考えが回らないのか、使命のためには「多少の」犠牲は仕方ないとでも思っているか。
とにかくマスコミの福島県民へのフォロー・配慮は非常に少ない或いはゼロだと感じています。
しかし今NHKでまた南相馬市長が頑張って喋ってる。
これ全国放送かな?東北? とにかく、がんばれがんばれ。

落ち着いてきたにしては暗い話ばかり書いていますが、仕方ないんですよ。
不安なニュースの連続だし、まだ時々揺れるし、政府の対応や報道の情報はモヤッとしているし。
南相馬市長の話に対する政府関係者の応えもただただモヤっとしたままだ。話す意味あるのか。
住民の安全を考えた?
だから、その言葉がまた不安を煽るでしょ? 余計モノが届かなくなるんじゃない?
困ったもんだな。 とにかく物資を途中で止めないで、ちゃんとその場所まで届けなよ。
地元の人のピストン輸送に任せてるってどういうことよ。

こんな状況ですが ある方のブログを読み、すごーーく心あたたまり、癒されました。
ちゃんと分かってくださっていて、ちゃんと冷静に優しく行動してくれている人もいらっしゃる。
本当にありがたいです。

日本中すべての人がそうなら、すべての人に感謝!と言えるのに。

ところで
ベクレルとかシーベルトとかも教科書に載せるべきだったんですよね。
研究者以外ぜんぜん知らないって、原子力推進しようとしてる国の状態としてオカシイですよね。
学んでいないから、みんな感覚が分からなくて右往左往して心配しすぎたり楽観しすぎたりする訳だ。

で、原発事故前の各地の水道水は何ベクレルだったんでしょうね。
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