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4/20 下の方に追記

じょやです。 え、なに? 福島県から来た子どもが差別にあっているって?
他県の子どもが悲鳴をあげて逃げたり、露骨に避けたりするって?
ネットではけっこう前から騒がれていたようですが、少し遅れてテレビ報道も始まったんですかね。
どのぐらいあるんだろう? それ。 少ないことを祈りますが。
多かったら、どうしようもない国だねいよいよ。いや、申し訳ないけどホント駄目社会でしょ。
多かったらね。少なくても、うんざりはうんざりだけど、ごく一部のことならまだ救いはあるかなと。

ん? 原発の情報がハッキリしないから怖がるのもしょうがないって? 責められないって?
いやいや何を言ってるんだ、責めていいでしょ、そんなの。あからさまな差別じゃないか。
道徳心の欠如でしょう。子どもだから許される? そんなわけはない。
差別された子どもの気持ちを考えたら、許してはいけない。
これは情報の少なさとかのせいにする問題ではない。親それぞれの教育の問題だ。

教育委員会が対処する~? ははは、学校で何言っても微々たる効果しかないでしょう。
先生の話を聞いて、思いやりある子は思いやりレベルがアップするかもしれないが。
平気で差別をして悪いとも思わないような子どもは、変わらないでしょう。
そういう子は、親の意識が低レベルだから。親の意識が変わらないなら、子も変わらない。
教育関係に期待するよりも先に、ひとりひとりの親の意識改革が必要です。

アメリカでエイズに感染した子どもが周囲の差別や偏見に耐えながら生きてきた。
折しも、そんな番組を見ました。親が「あの子に近づいちゃだめ」とか言う。
放射線差別も同じようなことになるのかなと思った。

「あいさつするたび、友達増えるね」?
あいさつするたび、悲鳴あげて逃げられたんじゃ、悲しみと憎しみが増えていくだけです。
福島県から来たことを隠して生きていけっていうのか。じょうだんじゃないよ。


4/20

言葉が荒かったと思いましたので補足します。
責めていいでしょ、と書きましたが、無知ゆえに「結果的に」差別行為をしてしまった子どもたちを
責めようというのではありません。それは、悲鳴をあげて逃げた子どもたちの「親」あるいは「周囲の
大人」が、「しかって諭して教えていっていいでしょ、そうしてほしい」ということです。

どうも、親も周囲の大人も「子どもなんだからしょうがない」で何もせず片づけそうな気がして…
それじゃ、だめだと思うんです。 「そんなこと言ったら相手が悲しむから、言ってはいけないよ、
言わない方がいいよ」ぐらいでもいいから、諭してほしいんです。
そうしなければ、子ども達はずっと、「自分が結果的にでも差別的行為をしてしまった」ということを、
知らされもせず、どういう言動が人を傷つけるのか分からないままに、成長していってしまう。
何も説諭せずにただ「長い目で見ればいつの日か分かるよ」では、大人の責務を放棄しています。

こういうことは、この問題以外でも、いじめ問題とか、そういうこと全般に言えることだと思います。
差別されたと感じる子ども達に、「そんなこと言うな!」とか言い返せ!などと言うのは酷です。
言い返すことなんてできない。ただただ心的被害を受け、犠牲になったまま癒されない子もいる。
そうやって闇をかかえたまま大人になる。心の傷は、完全には癒されることは無いんです。

私も子どもの頃にだいぶ言葉によって傷つけられた経験があるので、分かります。
昔、自分を傷つけた相手に十数年ぶりに会って、「昔よくいじめられたな」と平気で言えるようには
なっています。けれど、それに対して「あはは、まあコドモだったんだよ、許せ」というような言葉だけ
で簡単に許されると思っているような態度を見ると、内心穏やかでないものがあります。
こちらばかり闇をかかえていて不公平だな、と思います。

人の心を傷つけた者は、傷つけられた者と同等か、それ以上の「闇」をかかえていてしかるべき。
それが、全くそうなっておらず、ただ傷つけられた者だけがいつまでも闇をかかえて生きている
そんな世の中です。はっきり言って。今の人間社会なんて。
過去に人の心を踏みにじった者に限って、たいした反省もなく、
陽気に人生を謳歌しているという印象しかありません。
それは、誰にも教えられなかったからだと思います。人の心のことを。
大人になってから気づいて反省する人もいるかもしれませんが、それでは遅いんです。
コドモのうちに、気づかせてやらなければいけない。それは周りの大人の役目です。
とは言え、差別もいじめも、誰もその事実に気づかなかったら、どうしようもありませんけどね。
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無題
レンちゃんはとても辛い目に遭って、幼いが故にその経験から単純に自分の人格形成にプラスとなるようなものを得ることはできず、多くの罪もない命を奪い取ってきました。レンちゃんは地獄を見た可哀そうな子だから許されるのですか?それともレンちゃんも道徳心の欠如した子ですか?わたしはレンちゃんのしたことは許されることでは無いと思うけれど、だからといって意識の低レベルな子だと全否定するつもりもない。罪があっても、どうしようもない人間だと判断するのは早すぎる。逆にその子の罪を見て見ぬフリをするのも嫌だ。じょやさんはレンちゃんの罪にも向き合うべきだと思います。そしてレンちゃんに対するその大きな大きな愛情の一部分だけでも、現実の子供たちを眺めるときに使ってほしい。・・・偉そうにすみませんでした。信じてもらえないかもですけど、いつも楽しくサイト見させていただいてます。
ゆり 2011/04/17(Sun)09:54:30 編集
考え
はじめまして。この話でレンちゃんのことが話題になるとは思いませんでしたが…
考えを述べさせていただきます。

私は「レンは地獄を見た子だから何をしても許される」という考えではありません。
ただ、つらい目に遭った頃のレンのような、何のチカラも持っていない幼い子に地獄を見せた「世界」「社会」「大人たち」というものが許せないだけです。
レンの罪をどうこう考えるより先に、世界(大人たち)の罪を正したいという気持ちが強いわけです。
同じ考えが、ゲームの世界だけでなく現実世界にも通じているか?と考えると、やはり私はそうなのだと思います。

レンの罪が個人の罪なら、「世界」の罪は人間全体の罪です。
今、「レンの罪」という言葉を使いましたが、私は本当は、レンが執行者として冷酷に任務をこなしてきたことを、「罪」と呼びたくはありません。それは「見て見ぬふり」をするという意味ではありません。「罪」という言葉が似合わない、と思うだけです。

また、よく「多くの罪もない命を奪い取ってきた」と言われるのですが、「罪もない」と、言い切れるのでしょうか? その辺り、私は疑問に思っています。レンが何の関わりも無い一般市民を手にかけたなんてことは、どこにも描かれてなかったと思います。
そして、レンを仕留めようと向かってくる者たちに対しては、レンだって自分の命を守るために容赦ない行動をとるしかないと思います。
天才だから手加減だってできる? いや、実際はそんな余裕は無いのでは? 或いは、余裕があっても、「執行者」レンにとっては容赦のない攻撃こそが自分の生きる原動力になってしまっていたのではないかと考えます。
「楽園」での自分は、ただただ弱く、強い力に抗えず、蹂躙されてきた。自分を保てないほどに。
それが急に、自分を蹂躙してきた者たちを軽く凌ぐチカラを得た。ただただ弱い、振り回されるだけだった自分が、強くなれた。
強い力は、使ってこそ生きる。レンがその時既に「大人」だったら、抑えることも出来たかもしれない。でも当時のレンが自分のチカラや気持ちの爆発を抑えてなんかいたら、すぐに闇に呑まれて潰されて「生きて」はこれなかったのではないかと思います。チカラを最大限に行使することが、当時のレンの生きる道だったのではないかと。

レンの道徳心が欠如している? とんでもない。レンは本当は優しい心を持った子だと思います。そんな子をズタズタにして冷酷に生きるしかない状況に追い込んだのは「世界」です。レンにひどい痛みを何重にも与えて、命の重さも人の悲鳴も自分の痛みもつなげて考えることを捨てさせてしまった。
何も分からないで、あるいは分からないふりをしてヒトの命を奪ったりしてるのではなく、その重大さを理解しながらも、強い存在としての自分を保つためには考えている余地は無いのでしょう。
「自分は酷い経験をした子だから許される」なんて考えではないと思います。「どうしようもない衝動」がずっとあり、消すことができないのだと思っています。
そして、そんな自分の衝動とも戦い続け、自分を責め立て追い立てる「世界」とずっと戦い続けている健気な子です。油断すれば闇に食われて沈んでいってしまう。心折れたっておかしくないと思います。それでも懸命に戦っているんです。だから、応援したいんです。

さて、ゆりさんは私に「罪と向き合うべき」と書かれました。私が向き合っていない、と感じられたのは、どのあたりからでしょうか? この日記からでしょうか? それともHPネメシスリップの内容からでしょうか?

先ほど書いたように、私は「罪」という言葉を使いたくないんですが、レンが執行者として残虐なことを続けてきたのは事実でしょうから、それを罪と呼ぶならば、そのことと向き合う気持ちはあります。
目をそらしてなんかいません。むしろ、常にそのことを考えていました。ただ、そのことについて考えがまとまっていないために、「ネメシスリップ」の方には、まだその記述をまとめていませんでした。考えがまとまり始めたら少しずつ書いていくつもりではありました。

しかし「罪」と言うにしても「彼女が罪を犯してしまった」ではなく、飽くまでも「大人達(世界)が彼女に罪を犯させてしまった」です。だからって「許される」と思うのではありません。いや、「許される」とか「許されない」とか、誰かが言えることではないのだという考えが、今この文章を書いているうちに湧いてきました。
また、「償いをしなければならない」という考えには反対です。

「自分は間違ったことをした」と考えさせることが、今後のレンに教えるべきことかもしれません。それには大人が模範を示さなければなりません。
ところが、レンを酷い目にあわせた大人達は、たとえまだ生きていたとしても「間違ったことをした」なんて思わないだろうし、謝罪の気持ちも態度も無いだろうし、とても模範を示せるとは思えません。誰もレンに償うことをしない、いやもう出来ないのだから、「反省の仕方」「償おうとする心」の見本が無いわけです。
今後のレンのそばにいる人たちが少しずつ教えてあげるしかありません。愛情を知りつつある今のレンなら教えられずとも判断はできるかもしれません。
ただ、心は縛り付けられて固まったままだろうから、それを解きほぐしてあげることだと思います。そうして愛情に愛情を返して、気持ちに素直に生きることができるようになれば、レンだって自分の歩んだ道を振り返ることもできるようになるんじゃないかと。そして持ち得た強い力を愛情を返すため、誰かを守るために使うことに向けていければ、それでいいと思います。だんだんに、ですね。急に全てを考え省みなさいというのは無茶です。まだまだ自分を保つのに精一杯の筈です。ゆっくり、ゆっくりでいいと思います。


ここから現実の子どもの話になります。

私は現実の子どもを冷たい目で見たりはしていません。

ただ、この日記の「許してはいけない」というのが、大人達の差別的な雰囲気づくりのせいで間違った行動をしているだけの、「罪のない」子どもたちに向けられたものだと感じたのだとしたら、それは私の書き方の過ちだったのでしょう。

「意識の低い、低レベルな」という言葉は、子ども達に向けて使ったものではなく、親の意識の低さに対して使ったものです。だから、子どもを責める気はありません。

「道徳心の欠如」も、大人が言葉を選びながら教えることで、たとえ幼い子でも補えると思います。これも大人の責任です。子どもを「どうしようもない人間だ」などと早急に判断しているように読めたのでしょうか? そうではありません。ただ、大人がここで教えないままならば、「どうしようもない人間」になっていく可能性はあると思います。

大人達はすぐに、「子どものしたことだから仕方ない」で済ませて、何も教えようとしないまま成り行きに任せそうな気がしてしまうんです。それでは、子ども達は「自分が誰かを傷つけた」かも知れないことを知らぬまま大人になってしまう。大人になってから後悔させるよりも、今から教えていくことこそが子どものためだと私は思います。

しかし日記を読み返すと、そういうことが説明不足だったし、言葉もだいぶ荒いので、子どもを責めるかのような文章になってしまっていたのだろうと思いました。反省します。

差別的な雰囲気を作っているのは親であり大人であるわけですから、この日の日記は大人たちに向けて激しく怒りを感じて書いたのです。

福島県民の私は、今は怒りに満ちて生活しています。落ち着いた文章は書けないかもしれません。
癒してくれる人達もいますから、狂ってはいませんが、そのような人達がいなかったら今頃は怒り狂ってどうなってるか分からないような状況です。今はとにかく戦い続けなければならない。戦い続けなければ自分も、福島県もだめになっていってしまう。だからどうしても文章が激しくなるのだと思います。

ゆりさんの文章を読み、少し落ち着いて考えてみようと思いました。あまりに、攻撃的な言葉を書きすぎているのかもしれないと思いました。改めていこうと思います。
落ち着いた思考をとりもどす機会を与えてくださり、ありがとうございます。

書き込み、感謝しています。
じょや 2011/04/20(Wed)01:42:59 編集
補足
少し日が経って考えたことを補足します。
レンに教えるとか教えてあげるとか書きましたが、レンに対して誰かが何かを「教える」というのは誰であろうと烏滸がましいですね。と言いますか、レンは自分で気づく、或いは考えるようになると思います。周りはそれを手助けするというか、罪悪感や後悔に苛まれて闇に沈んでしまいそうになった時には引っ張り上げて優しく包んであげるとか。そういう表現の方が合っていました。ヨシュアを常に引っ張り上げているエステルならそれが出来ると思いますし、ヨシュアもまた、同じように闇を抱えているから、いい相談役というか何も言わなくても通じ合える頼りになる存在だと思います。
あまりに長い文章でレスしてしまいましたし、ここをご覧になられるか分かりませんが、補足したかったので一応書いておきます。
じょや 2011/05/01(Sun)00:58:57 編集
追記
また更に少し日が経って考えたことを書きます。
上の長い文章の中で、レンが「罪のない」命を奪った描写はどこにもない云々と書きましたが、描写されてないだけで、そういうこともあったのかも知れません。そのあたり、はっきりとは描かれておりませんが、漫画版の方でアイン・セルナートが「多くの命を殲滅してきた」とは言っていますね。
そういうわけで、確かに、多くの命を「殲滅」してきたのかもしれません。
ですが、そういうことがあったとしても、やはり私はそれをレンの罪とは考えません。強いて言うのならば、「世界」がレンに「背負わせてしまった」罪である…とは、言えるかも知れません。
それでも罪は罪だから償わなければならないよ、という考えもあるのかもしれませんが、その考えは私には合いません。これは「盲目な愛」ではないです。「同情」でもないです。だいたいレンに「同情」なんて烏滸がましいです。同じほどの地獄を見たか何かでないと、偉そうに「同情」などと言うこと自体、思い上がりです。
つまり、盲目でもなく同情でもないが、レンに「償わせる」というのは間違っており、「良い方向に変化してほしい」というのが正解だ、という考えです。
じょや 2011/05/29(Sun)22:12:58 編集
無題
こんにちは、ゆりです。長い間お返事が出来なくてすみませんでした。そして、私の疑問に対し
てとても真剣に考えて下さったことに感謝させて頂くのと同時に、そのためにじょやさんに大変
お時間とお手数をおかけしてしまったことに謝罪させて下さい。


そして、私は福島県民ではありません。


そんな私が、被災されて私の想像も及ばないくらいの深い悲しみと苦しみを抱えていらっしゃる
じょやさんの、「差別」に対する心の底からの叫びに、傲慢にも「説教」をしたこと。これにつ
いても、本当に申し訳ありませんでした。あまりにも配慮の足りない行為だったと思います。


しかし、現実の子供たちに関する話についてはこうして私の謝罪で完結させても問題ないかと思
いますが、レンちゃんの話については、ここまで真摯に私に応えて下さったじょやさんのために
も、しっかりと「私の意見」を述べさせて頂きたく思います。


さて、まず始めに宣言しておきたいこと。私はレンちゃんが大好きです。


すみません、この気持ちはじょやさんにだって負ける気はありません。こう思う気持ち、こればっ
かりは自分の傲慢だとするつもりはありません。レンちゃんのことを本当に愛してます。

こう宣言しておかないと、きっとじょやさんのお嫌いになるであろう言葉をたくさん、たくさん
使った今回の文章は、私のレンちゃんへの愛を疑われる材料になりかねないのです。


私は、じょやさんに「レンちゃんの罪とも向き合うべき」とお伝えしました。これは言い方が悪
かったと思います。罪、と言うよりは、レンちゃんの「悪い所」についても見て欲しかったので
す。私の言うところの「罪」とは、法で裁かれるべき、償うべき業、という意味ではなく、エステルでもヨ
シュアでもティータでもレーヴェでもケビンでも…誰でも持っている「罪」です。レンちゃんだ
けが人並み外れて罪人だと断ずるわけではなく、誰でもみんな持っている「罪」が、レンちゃん
の場合には、殲滅天使として執行してきた破壊活動にあたる、とお伝えしたいのです。

分かっています。レンちゃんは優しい子です。ティータを思いやるレンちゃん、コリンを助け出
したレンちゃん、エステルたちのことを大好きだと伝えるレンちゃん。レンちゃんは優しさをちゃ
んと持っています。

しかし、こう断ずるのは「烏滸がましい」かもしれませんが、レンちゃんが持っているのは「優
しさ」だけじゃあないと私は思う。幼い故の「残酷さ」も持っている。目を逸らしているとまで
偉そうなことを言うつもりはもうありませんが、じょやさんはレンちゃんのそういう部分につい
てはあまり言及して下さらないので、少し寂しかったのです。いや、もちろん全くそういう言及が無かったわけではありませんが、それでも滅多になかったように思うので・・・。じょやさんは、レンちゃんのことが本当に大好きでいらっしゃいますよね。本当に大好きだから、優しい子なところ、いい子なところ、そういうところをみんなに伝えたい。じょやさんのそういうお気持ちも今ではとてもよく分かるつもりなんです。いろいろ考えて分かったことは、最初に書き込みをした時、私はじょやさんのそういう所を「間違っている」と傲慢にも決め付け、これまた傲慢にも「矯正」しようとしていたのだろう、ということです。それは明らかに間違いでした。私には私の。じょやさんにはじょやさんの。レンちゃんに対する愛の注ぎ方があるのですから。


だからこれから語るのは、あくまでも私の考え方です。これが絶対に正しい考え方などとするつ
もりはありませんし、じょやさんのレンちゃんに対する愛し方を否定するつもりもないことをど
うか知っていて下さい。


私はレンちゃんには「残酷さ」もあると言いました。もちろんこれは何の根拠もなしに言ってい
るのではありません。琥珀の塔で、自分のしていることを「間違っている」と言われ、エステル
に斬り掛かり殺そうとする場面。アクシスピラーで全てが自分の思い通りになるという期待を裏
切られ、「逆上」し、エステルたちを「皆殺し」にしてしまおうとする場面。他人の苦しみ悶え
る姿に癒やしを得ているという発言、自分の大好きなヨシュアを奪われたという理由でエステル
を「殺しちゃおうかな」と思っていたこと。今回は人を殺しちゃ駄目だと言われて、つまんない
の!とむくれていたこと。これらのシーンから読み取れるレンちゃんの「気に入らないヒトなん
て、みんな殺しちゃえ!死んじゃえ!」という、幼いが故の途方もない残酷さ。そして全てが自
分の思い通りになると信じている甘え。歪んだ心。そういうものをレンちゃんが孕んでいること
も私は事実だと思う。


でも私はそういう事実も含めてあの子が大好きなのです。


じょやさんはレンちゃんを「人としてすごく良く出来た子」として見ていらっしゃいますよね。
もちろん精神的な弱さとか脆さ、そういう意味での不完全さは認めて下さっていますが、「時に
は優しくない、良い子じゃない部分」、そういう人としての「欠点」はあまり認めて下さらない。
じょやさんは、どうしようもない時や、悪人と対峙した時にだけレンちゃんは力を行使したと仰
いましたが、申し訳ないけれど私はそんなことはないと思う。プレストーリーのアインさんのセ
リフだけじゃなくて、前述したような様々な場面でのレンちゃんの発言から、「気に入らない」
それだけの理由で無慈悲にあの大鎌を振るったことは何度もあったのだろうと考えています。…
もちろんこの歪みはレンちゃんが好きで背負ったものではありません。じょやさんの言葉をお借
りするなら「世界」がレンちゃんに「背負わせた」、どうしようもなく悲しい「衝動」なのです。
分かっています。「それだけの理由で」という言葉は、自分を否定する世界及び人間を殲滅しな
ければ自分を保てないレンちゃんの悲
しい衝動、本当は脆い心を持つレンちゃんにとっては精神の死活問題であることを思えば悪い表
現になるかもしれませんが、私はあえてこう書かせてもらいたいのです。


ここで、ただただ悲しくて、世界だけが悪くてレンちゃんは全く悪くないと考えることで、レン
ちゃんを守ってあげる優しさをお持ちになっているのがじょやさんなら、理由はどうあれレンちゃ
んにも「悪い」子な部分もあって、でもそういう部分も受け入れた上でレンちゃんが好きだと考
えるのが私なのです。少し前までは私はその違いが受け入れられず、なぜレンちゃんだけは全肯
定で他の子たちには違うのだろう…とつい愚かな反感を抱いてしまったのです。


「罪」とまで烏滸がましい言い方はしません。ただ私は、「『悪いこと』をしたらぶたれるのは
当たり前」、そう言ってエステルが叱ってくれたこと、レンちゃんはちゃんと嬉しかったんじゃ
ないかな…と思うのです。当たり前と言ったエステルも、じょやさんにとってはやはり烏滸がま
しいでしょうか?


じょやさんはレンちゃんのことをとにかくすごく優しい子、凄い子、と見る(重ねて言いますが
レンちゃんが弱さも持っていることを知っていらっしゃるのは分かっています)。私は、幼くて、
それ故の優しさも残酷さもどちらも持っている普通の子、として見てる。…うん、多分私はレン
ちゃんのことを、普通の可愛い子供だと思ってるんです。天才とか言うよりは。いや、天才なの
を否定したいとか気に食わないとかじゃなくて、どちらにイメージの比重を置くかの話です。


ワイスマンのように理解の出来ないくらいどうしようもない真の意味での残酷な人間なわけじゃ
なくて、とても人間らしく、子供らしい破壊衝動を持った、そんな愛おしい「悪い子」だと思う
のです。自分の思い通りにならないのが気に入らなくて駄々をこねる悪い子。ちょっと…どころ
か凄く(笑)わがままで、こまっしゃくれているところ。そういうのはじょやさんの中のレンちゃ
んにはないのかな…と思うとやっぱりちょっと寂しいです(笑)


何か物凄く狂った信念を持って人殺ししてるわけじゃなくて。ただ単に思い通りにならないのが
気に入らなくて、自分を虐げた世界がどうしようもなく許せなくて辛くて苦しくて、そこで本当
に完璧な良い子なら世界を許してあげなければならないのだけれどそんなこと出来るわけはなく
て、世界なんか大嫌いで全部ぶち壊してしまいたくて。復讐したくて。それはあまりに辛い経験
をしたのだから仕方の無いこと…なのではなくて、では何かと言うと、とても人間らしい「残酷
さ」なのです。


余りにも酷い過去を背負ったレンちゃんを普通の人と比べるのは烏滸がましいかもしれませんが、
例えばずっと酷く虐められていた子の立場がある日突然逆転して、その日からは自分を虐めてい
た子を存分にいたぶれるようになったとします。心の中で、或いは実際に高笑いをするその子は
やはり子供特有の残酷さを持っていると言えると思います。


レンちゃんを「人間らしい」欠点のある子、とする考え方はじょやさんにとってはやはり「烏滸
がましい」でしょうか。私は、すみません、レンちゃんをそこまで人知の及ばないような、レン
ちゃん以上の闇を持っていない人間が少しでもあの子についてどうこう言うこと自体が傲慢とさ
れてしまうような、崇高な存在のみの為の椅子にレンちゃんを座らせることはできません。烏滸
がましいのかもしれませんが、もっと身近な、悪いことをした時には誰でも叱ってあげれるよう
な、そして時には「いい子だね」と抱き締めてあげられるような、そういう子として見てしまい
ます。


じょやさんに触れてほしい、と願っていたところは他にもあります。例えば、レンちゃんが「全
ては自分の思い通りになる」と信じて疑わずにいた、レンちゃんの「甘え」です。「甘ったれる
んじゃない」と叱ったエステルを、私は傲慢とは考えません。あと、じょやさんは単純に「幼かっ
たから覚えていなかったのだろう」とされた、両親についての真実。これは、マインツでハロル
ドと会話した後に発生するサブイベントでのヨシュアのセリフ「そう思い込もうとしたのか」、
メインイベントでの同じくヨシュアのセリフ「真実を求めることを放棄した」などから、レンちゃ
んが「逃げていた」ことにも責任のあるものだと考えているのですが、じょやさんはどのような
考え方でしょうか。


レンちゃんにだって、「欠点」はある。それが私の考え方です…すみません。優しくて、強くて、
そういう完璧な部分ばかりじゃない。これは別にレンちゃんが特別人より劣っているとか邪悪な
子だという意味じゃなくて、欠点なんて誰にでもある普通のことで、レンちゃんだってその「普
通」の枠組みから外れたりはしないと思うんですよ。


例え、世界が自分の都合良く変わってくれるという「甘え」が、かつて世界そのものに迫害され
た悲しい生い立ちと痛みから来ているものでも。そうしないと自分の精神を保てないという背景
があっても。やっぱり私はそれは「甘え」だと思ってます。そんなことよりもまず世界への怒り
を感じていらっしゃるじょやさんの深い愛も凄く分かるのだけれど。


世界も悪いけれどやっぱりレンちゃんにも悪いところがあるよね。そう考えることで私はレンちゃ
んを「普通の子」として扱いたいのです。


…これ、実はレンちゃんを守るためでもあるんです。

だって私、レンちゃんを虐めた、レンちゃんに痛いことをしたやつら、あいつらにどんなに辛い
生い立ちがあろうと許せません。…でもそれって、レンちゃんに命や大切な人を奪われた人もきっ
と同じですよね。私はレンちゃんの「衝動」で「殲滅」された善人はいると思ってます。ヨシュ
アが贖罪の旅に出たことからも、レンちゃんの言動からもそう考えます。そして私は思います。
人を虐げる人間はそれなりの「闇」があってしかるべきだけれど、では闇があれば許されるのだ
ろうかと。レンちゃんを虐めた奴らに闇が無いとは言い切れない。レンちゃんには描写されたも
のがたまたま彼らには描写されていないだけかもしれない。でも「事情があるかも」それだけの
理由でレンちゃんを虐めた奴らを責められないなんて私は嫌です。だから私はレンちゃんのした
ことも悪いことだと認めます。その代わりどんな言い訳をされたってあいつらのこと許しません。

最後に、じょやさんには私の考え方は当てはまらないのだということ。それを認めた上で私の考
え方をご報告させてもらったのですが。最後にちょっとだけエゴを押し付けさせてください。


じょやさんはレンちゃんのこと大好きですよね。レンちゃんもじょやさんのこと大好きだと思い
ます。


だからじょやさんならおこがましくなんかないんじゃないかと私は思います。だからもしいつか、本当にいつか気が向いたらでいいので、たまには叱ってあげてみてください。


私もじょやさんを見習って、たまにはレンちゃんをもっと積極的に肯定して、愛してみます。


他の人から見たら「たかが」キャラのこと。それを馬鹿にしないで真剣に考えて下さるじょやさ
んのことが、私は大好きです!じょやさんはレンちゃんのこと全力で陰りなく愛していてすごいと思います。頑張ってください。ケンカ売ってすみませんでした・・・
ゆり 2011/06/14(Tue)21:23:02 編集
ありがとうございます
ゆりさん、こんばんは。じょやです。
まずは、お礼を言わせてください。
真剣な書き込み、そして真剣なお返事を、ありがとうございます。

まず、差別に対する文章のことについては、これは、私の方も謝るべきことと思います。
なぜなら、最初の日記の時に、あまりに感情をぶつけるようなものを書いてしまったので。
どうも私は時々、これをやってしまうんです。
もっと適切に表現できれば思いも伝わるのかもしれませんが…
私の表現が乱暴で稚拙なために、不快な思いをさせてしまったと思います。申し訳ありません。

しかも4月20日に「攻撃的な言葉を改めていきたい」などとレスしながらも、それ以降もいろんなことで日記に攻撃的な言葉を書いているような気がします。成長しませんね私…すみません。

あれから原発問題などはまだまだ落ち着かないというか、はっきり言って悪化しているような気配さえありますが、どうにか普通の生活をしようとしている所です。

差別の問題は…落ち着いて考えてみると、たまたま問題のひとつが報道されただけで、あんなことはそうそう多くはないのかも知れません。むしろ、何も気にせず、親切にしてくれる人の方が日本中には多いのだろう、そういう雰囲気であれば子どもらだって極端な振る舞いはしないだろう、と考え直しているところです。報道は、メディアや会社によって観点はバラバラだし、ネットもそうですが、取り上げられない事実やエピソードも多々あり、知らないだけで、優しく、心温まるようなエピソードの方が本当は多いのだろう、と、今は、思うようにしています。

いったん、送信します。
オーバル魔ペットJoya 2011/06/18(Sat)20:24:14 編集
続きです
ここからはレンちゃんのことです。

>幼いが故の途方もない残酷さ。そして全てが自
分の思い通りになると信じている甘え。歪んだ心。

はい…認めてないということはないんです。むしろ認めているというか…
いや、「知っているよ、それは」という感覚でしょうか…
レンは絶対にいい子だから「残酷さ」も「甘え」も「わがまま」も全て100%演技だ!とか、絶対に歪んでない!とか、そういうふうには思っていません。レンは残酷だし、甘えてるし、歪んでる、わがままな子だと思います。
が、確かに、そういうことは、どこにも…日記にも、HPにも、「言及してない」ですね。いや、言及してるような意識でいたかもしれませんが、考えてみると、言及してないだろうと、気づきました。
言及してないということは、「ああ、この人はレンのいい所だけ見たいんだな、必要以上に美化しているんだな」と見られてもしょうがないですよね。「溺愛」ではなく純粋な「愛」だ、などと自負していても、はたから見れば溺愛以外の何ものでもない。もう可愛くてしょうがないから「しかれない親」とか「彼女に意見できない男」の典型のような…自分をそんなふうに認識し始めたのは今が初ですが。
…実は、そういうことは、あまり考えたことすら無かったのです…
無意識に…か、分かりませんが、そういう「レンの悪い所」は自分の語るべきことではない、たぶん他の人がどこかでさんざん言っているし、ゲームにも充分描かれてるし、自分は言わなくていいでしょ、扱わなくていいだろう、自分はレンを褒めちぎりたいんだから褒めちぎってさえいればいいんだという思いが常にあったかも知れないです。そんなことを、ゆりさんの文章を読んで考えました。

>でも私はそういう事実も含めてあの子が大好きなのです。

私も…私も、そうです。その、はずです。そうじゃないでしょ、いい所だけ見たいんでしょう、と言われそうですが…「いい所だけ見たい」では、決してない、それはないです。
闇の部分も含めて好きです。その基本的な所は、私も変わらないと思っています。ただそれを表現しようとするときに、自分の中で咀嚼して自分の中で結論づけてから書くので、溺愛表現になってしまうのかもしれません。
残酷な面も、「みんなしんじゃえ」な面も、それを書く前に、最初から「世界がそうさせている」という方向に。
「わがまま」「酷い」「歪んでる」と言うより先に、「おちゃめ」「恥ずかしがり屋」「素直になれない」「衝動に流されている」というやわらかめの表現にしてしまう。
つまりは、そういうことです…いや、分かりません、そういうことなのでしょうか。

「悪くない」と言いたいわけではなくて、もちろん「悪い子」なレンちゃんも好きなわけで、「悪い子」な面があったら受け付けないなどということはないんです。もし、そうだったら、はじめから好きになってないと思いますし…

二次創作マンガとかも、今までやわらかい感じしか描いてなかったような気がしますが、今描いてる途中のものには、レンの闇の部分も出てきていますし…(と言ってもまだまだ溺愛の範囲かもしれませんが…)

>エステルも、じょやさんにとってはやはり烏滸がましいでしょうか?

いや…これも「多分」なんですが、自分は烏滸がましくてぶったりできなくても、エステルだったらOK!みたいな考えなんだと思います。エステルがぶったシーンを見ても「烏滸がましい」とはこれっぽっちも思いませんでした。そういうわけで、レンの悪い所をはっきり悪いと言えて、きっぱりした態度で導ける可能性を持ったエステルは輝いて見えますし、レンのために現れてくれてありがとうとさえ思っています。自分にはそういうことが出来ないだろうから、できる人には憧れを抱くのですね。レンのいい子な部分も悪い子な部分もひっくるめて愛すること…それができないというのではありません。それは、できます。ただ、そういう態度を表には出せないだろうなと思います。どうしてもネコ可愛がりになりそうです。だから、エステルのように直球で本人に対してぶつかれるのは、すごいと思うのです。

そして執行者の天才レンをつかまえて「普通の子」と言ったエステルと、「優しさも残酷さもどちらも持っている普通の子」として見ているゆりさんとは、通じ合うものがある、近い存在なのではないかと、勝手ながら、思います。
無礼なことを申し上げてるかもしれません…すみません。

私も天才で凄い子としてだけ見てるわけではなく…もちろんゆりさんのおっしゃるように「か弱さ」を強調する文章をそこら中に書いてるし、二次創作も総じてそういうことになってると、改めて考えると、そう思います。
しかし他の面も見ている…と自分では思っていたのですが…それは表現できてないのでしょう。
普通の子、だと思います、私も。
ゆりさんがおっしゃるのと、意味合いはズレるのかも知れないですが…
普通にいい所も悪い所もあって、いたずら好きで、悪巧みも得意…で
ただその規模が大きく、世界規模の悪行になってしまっているだけで…
天才だからって模範生ではなくて、わがまま言いまくるし、人に感情をぶつけるしで、周囲のオトナからしたら、たいへん手のかかる子…

そして、「甘え」ている。

この「甘え」という言葉をレンに使うことについては、私は今まで、認めたくなかったのだろうと思います。
それは、レンが過酷な運命に、迫り来る過去からの闇に、必死に抵抗し、傷つきながらも歩もうと、心から血を流しながら頑張ってる子だ、と信じていたから。それを広めたかったから。

今でもその思いは変わりません。が、ゆりさんのご意見を読み、思いました。自分の考えは1つの側面。そして、「甘え」ている側面も、レンにはあるのだと。「甘え」という言葉について、考え直す必要があると。

「甘え」これを私の感覚に当てはめるならば、世界をどうにでも好きにできる、どうにでもしていい、してやるんだという、その考えが「甘え」。

ところが、どうにもできないこともある。いや、天才にだって天使にだって結社にだって、どうにもできないことだらけ。
どうにもできない自分の心の矛盾や、まっすぐにぶつかってくる人。
本当は闇から抜け出したい、本当は「ふつうになりたい」と思っている自分を認めること。
例えば、それが、甘えからの脱却でしょうか。
自分は闇をまとってしか生きられないんだとか、どうせもう普通には戻れないんだとか、自分には輝くような優しい人生はもう無理だとか、そういうことを考える諦めイコール「甘え」のひとつ、とするならば…
闇に追いつかれないように、立ち向かったり逃げたりしてる反面、闇の衣を自ら纏って、それに守ってもらっているレンもいるのかもしれない。
闇をまとってしまったからって、いつまでも闇に守られていないで、傷ついても分からなくても、光の中にでていってみろと。戸惑っても、しかられてもいいから、いろいろ試してみろと。ほんとうはそうしたいんだろう、その自分の本音を自分で認めてみろと。
せっかくまっすぐに愛情をぶつけてくれる人がいるのだから、逃げてないでぶつかりかえしていけと。

書いているうちに、ちょっと、よく分からなくなってきた感じもあります。
考えがまとまってからレスしたほうが良かったかも知れませんが、ひとまず、今考えていることを返事として書いておきたかったのです。
また考えたりしたことがあったらここに書き足すかも知れません。お許しください。
HPも、改めて見直す必要があるように感じています。書き直したり書き足すべきことがあるかもしれません。


両親の記憶について
>「真実を求めることを放棄した」
実際、曖昧になっていたんだと思っています。レンちゃんだっていくら幼かったとはいえ、数年間育ててくれた両親の愛を全く覚えてなかったなんてことはないでしょう。でもいろいろなショックから曖昧になった。そして、誰からともなく「自分は売られた」「裏切られた」と植え付けられたかもしれない。愛情の記憶が少しあっても、自分がいま「このひどい楽園にいる」という事実とどうしても繋がらなくなり、わけがわからなくなったのではないかと。本当は「愛されていた」と思いたいのに、事実と反するし、事実はもっと酷い可能性だってある。だから、そのもっと酷い事実だったら絶対に拒否したくて、意図的に「逃げた」「思い込んだ」のかもしれないと思っています。

>「事情があるかも」それだけの理由でレンちゃんを虐めた奴らを責められないなんて私は嫌です。

それは私も同じです。そして逆の、レンに命を奪われたり傷つけられたりした人々にとっても、同じことなのでしょう。
ただそれでも自分だけはレンの味方だ、というエステルたちのような人たちがいて、その人達のもとで、ゆっくり、ゆっくりでもいいから色んなことを…自分も人も同じなのだということなどを、考えてくれれば、人の立場にも立てるようになってくれれば、と思っています。

レンも怖いんだろうな、ということをどうしても考えてしまうんです。心を読めるわけじゃないから、街に歩いている人が、どんな人か分からない。もしかしたら、「楽園」で自分にひどいことをした人たちと同じなのかもしれない。あの人もこの人も、実はみんなレンに痛くする人なのかもしれない。分からないから怖い。強くなれば怖くない。さらには、みんな消してしまえばもっと安心。意識してか無意識か、そういう感情も奥のほうにはあったりするのかな、と思えるんです。
そんな人たちばかりじゃない、むしろそんな酷い連中は少数だ、なんてことすぐ分かるだろう、天才なんだから!…と考える人もいるかもしれませんが…天才って言ったってそういうことまで分かる仙人とか魔女のような存在ではないと思うんですね。レンの天才は学問と戦闘に関することだけで、人の心とか生き方とかについては全く拙いと思います。そういう意味では、街にいる「普通の子」にさえ追いつけないでいるのだと思います。

>たまには叱ってあげてみてください。

あんまり可哀想で怒りたくないんです。前述のようなことをどうしても考えてしまって、可哀想で愛しくてしょうがなくなるので。教育者とか保護者には向いてないかも知れません。
だから自信はありません。
が、ゆりさんのお言葉で、少し、考えが変わったというか、今まで考えてなかったことを考えることができるようになったと思います。
ゆりさんのエゴとおっしゃいますが、私には非常にありがたい言葉でした。
そんなふうに考えることもできるのだろうかと、光が差すような思いでした。
こんな情けない、ただの崇拝者である私を、レンちゃんの方で「大好き」なんてことはないと思いますが…

ただ崇拝するのよりも、レンちゃんをひとりの普通の女の子として考えた方が、本人にとってもきっとありがたいことなんですよね。
いえ「ただ崇拝してるだけ」のつもりはなかったんですが、結果的にそうなっていたかなと思うので。

ドラマCDのどれかのインタビューの時に、レンの声優さんの言葉で「レンはそんなに立派じゃなくちゃいけないのかな…」というのがあったのを思い出しました。それは確か、ティータが頑張ってレンに向き合おうとしている姿勢に対しての感想だったように記憶してますが…
身構えて、向き合うために自分をレベルアップさせたり、武器を持ったり、同じような苦しみを味わったり…そんな必要ない、レンはそんな崇高な高みにいる神か何かじゃないんだから、そんなことしなくても、いくらでも向き合えるんだ、向き合ってきてほしいという思いが、実はレンの方にもあるのかな、などと今になって想像しています。これも勝手な想像かもしれませんが。

ゆりさんのおかげで、自分のレンちゃんに対する思いを見直すきっかけになりました。最初のコメントの時もそう思いましたが、今回、より詳しい思いを知ることができ、いろいろと考えさせられ、新たに見えてきたこともあります。

本当に、感謝しています。ありがとうございます。
オーバル魔ペットJoya 2011/06/18(Sat)22:15:38 編集
続きの続き(少し加筆修正)です
こんばんは。続きの続きです…また長くて申し訳ないのですが…
ゆりさんの文章に対し、私が前のレスで答え足りなかったと思う部分を答える形で足してみます。


>自分の思い通りにならないのが気に入らなくて駄々をこねる悪い子。ちょっと…どころか
>凄く(笑)わがままで、こまっしゃくれているところ。そういうのはじょやさんの中の
>レンちゃんにはないのかな…と思うとやっぱりちょっと寂しいです(笑)

いや、これはですね… あるんですよ。だだっ子レンも好きなんです。
そういうところも含めて大好きなんです。だだっ子レン・悪い子レンを認めないなんて気持ちはないんです。
ただそれを表現できてなかっただけというか、どこかで表現してるつもりだったというか。
そういうことだと思っているのですが。信じてください…信じられないか(笑)でも本当です。



>その日からは自分を虐めていた子を存分にいたぶれるようになったとします。
>心の中で、或いは実際に高笑いをするその子はやはり子供特有の残酷さ

そうですね…そういう残酷さがあると思います。
と言いますか、いい子の面を強調するだけで、残酷さについてHP等に書いてなかったのは、自分でもあまり意識していなかったというか、とにかく「レンは愛されるべきなのに、そういうのがあんまりネット上に見受けられないじゃないか!自分がこれでもかと愛するHPを作らなくては!となったわけで、それが結果的に今の状態だとも分析できます。(ネット上にあまり見られない、というのは、自分が探し下手なだけかもですが)

さて、報復できる力については…そういう力を実際に持ち得たことはないので、その気持ちを語れるわけではありませんが…
が、想像すると、そうでしょうね。子どもの残酷さは、力を得たら、暴走するでしょう。
虐められていたなら、当然、報復したいし、歯止めはきかないでしょう。残酷さに残酷さを返すんだから。
私も遙か昔、人から虐げられた経験がありますが、あの時、力を手にいれていたら、絶対に報復しましたね。
それはもうひどく残虐な行動に出たのではないかと思います。
高みに立ったからって急に大らかになって相手を許す、なんてことは出来ないと思います。
今だって、念力か呪いの力とか手に入れたら昔の恨みを晴らすかもしれないなどと考えると自分の心の闇がよく分かります。あまり思い出さなくなってどうでもよくなっているだけで、憎しみは消えてないってことでしょうね。レンちゃんのことから話が逸れた気がします、すみません。



>両親についての真実

これも書き足りなかったと思うので書きます。

「幼いから覚えていなかったのだろう」と書いたのは、確かに今考えると単純ですね。
(どこに書いたんでしたっけ… すみません、さがします。さがして書き足しておきたい…)

逆に、100%記憶が無い、なんてことがあるわけはない、と考え直しました。
(このことを深く考え直したのも、ゆりさんのお陰です。ありがとうございます。)
物心ついてからのたった数年とはいえ、娘として愛された記憶が全く失われたとは思えない。
ただ、前のレスでも書いたように、色々なショックから、曖昧にはなっていただろうと思います。
そして愛された記憶の断片があっても、自分は今「楽園」という地獄にいるという事実。
愛されていたと思っても、今の事実と反する。記憶と現状がどうしてもうまく繋がらなくなる。
そのうえ毎日意味の分からない痛いことをされて、混乱する中、心を分裂させてまで自分を守る。
そうやって必死に生きているのに、誰も助けてくれない。そこにいるはずの両親は何をしているのか。
そのうち、誰からともなく、「お前は売られた」みたいな情報が入ったとしたら。
或いはそんなはっきりした言葉がなくても、いつまでも助けにきてくれないのだから、裏切られたと感じるでしょう。

挙げ句、レーヴェ達に助けられた後でしばらくぶりに思いがけず両親を見かけたら、
「あんなことになってしまった前の子」という、忌まわしい記憶のような言い方だけが耳に突き刺さる。
そうか、自分は必死に生きてきたけど、両親にとっては「あんなことになってしまった」亡霊なんだ。
勘違いです、はっきり言って。でも、天才だってエスパーじゃないから、両親の本心なんて読めないでしょう。
だから、そこで考えるのをやめて、真実を知ることを放棄したって仕方なかったんだと思います。

その前にもう放棄していたかも? うん、それでも仕方ないですよ。

レンだって「本当は愛されていた」だったらいいなと心の底では思ってたでしょうが、天才でありながら、その予想は出来なかったんでしょうね。
そういう方面の天才ではないんでしょう。
きっと「実際にカネのために売られた」とか「本心から要らない子と思われていた」とか、そういう悪い方にばかり予想が傾いていたのではないかと。
そんな嫌な事実を知るために努力して調べたり、両親に近づいたりするなんてことはしたくないでしょう。
文字通り事実を知ろうとすることから「逃げた」と言えるのでしょうが、これは逃げて当たり前だと思います。
すごく嫌なことが判明しそうなのに、どうして近づくことができるでしょうか。
今の闇に染まった自分が、さらにグチャグチャに崩れてしまうことを恐れたのではないでしょうか?
結果的には「本当は愛されていた」という「悲しくて優しい」真実だったわけですが、それは結果論ですし。
いいほうの事実だったからって、簡単に「なんだ早く調べに来りゃ良かったじゃん」とか
「殲滅天使として活動した日々が全て無駄で愚かしいことだった」などとは思えませんし。

ヨシュアの言うように「そう思い込もうとした」のだとしたら…なんだろう…
自分は見捨てられた存在だから、今、執行者として強くなって、破壊活動をしている自分を否定しなくて済む、ということでしょうか。
それは「自分が許される」という考えとは違って、許される許されないはどうでもよくて、ただ、今の自分を崩すのが怖い、怖いから知りたくない見たくない、という拒絶…というか、闇への「甘え」だったのではないかと。
そうだったとしても…この件でレンの責任を問うことは私にはできません。
他の悪い行為に関しては叱るのもいいですが、両親のことを知ろうとしなかったことについて「あなたにも責任があったでしょ」と言い放つことは酷だと思います。
相手がもっと大人ならそういう厳しい会話も成り立つかもしれないんですが、相手は、天才とはいえ少女ですから。それも、頭は良くても、人の絆については素人の。

(これ以降は二次創作マンガに描こうとして進めてた内容を含みます。)
では、なぜそれほど恐れていた「事実を知る」ということを『零の~』で実行したのか。
これは、やはりSCから3rdの展開を経て、心の底ではエステルとヨシュアの家族になりたい、そうなれるような自分になれればいいなと思っていたんじゃないかと。
でも今の揺れ動く自分、はっきりしない自分ではエステルとヨシュアにつかまっていいのかどうか分からないから、とにかくはっきりさせようと。
ずっともやもやしたままの両親のことも、どんなにいやな事実が分かったとしても、はっきりさせておこうとしたのでしょう。
だからイヤだけどクロスベルに無理矢理行った。
それで、もし最悪なことが分かって、自分の精神がいよいよぶっ壊れて本当の悪魔になってしまっても仕方ないと思ったんでしょう。
それならそれで、「やはりエステルたちにつかまるべきじゃない」「自分はこれまで通り破壊者であればいい」とはっきりする。
レンはクロスベルに行って適当にふらふら遊んでたわけじゃなく(結構そういう面もあったかもですが)、上記のような悲壮な決意で行動してたんだと思ってます。
オーバル魔ペットJoya 2011/06/20(Mon)01:07:14 編集
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