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嬉しいですね~ 今からワクワクです。
主演は南央美さん。ナデシコのホシノルリです。
西原久美子さんの演じる「狭々」と一緒にネコ耳少女のペアを演じるのは
川田妙子さん。TOFの藤林すずちゃんです。
アイリス・ルリルリ・すず と
自分の中の重要キャラが3人も揃うじゃないか!ってことで
勝手に盛り上がっております。
何かこの世ならざる者たちが群がり、みんなで踊りだす。
名前のカードが用意されていて、音楽に乗って動きながら
出演者がどんどん出てくる作り。 なんかすごくいいかんじでした。
真砂子さん(西原久美子さん)は、最初つまらなそうな寂しそうな
疲れたような表情で俯いてソファに座っていた。
(その前に、目に見えないはずの妖精っぽい3人を追い払っている。)
(これはきっと虫に見えていたのだろうな、と後から分かる。)
うなだれてる感じで座ってる真砂子さんは、周囲に群がってくる
妖精やそのほかの者たちのことが見えてない様子でした。
音楽が少し進むと、周囲にいる人ならざる者たちが真砂子さんを
見えないエネルギーで励ますようにしているな形で(私見)、
真砂子さん急に満面の笑みで 立ち上がり、妖精たちと共に踊り出します。
この満面の笑み、かわいいダンス、踊る時の楽しげな感じ。
さすがの西原久美子さんでした。
あとからあとから出演者が出てきて紹介が続きます。
こんなにたくさんの人が出演するんだ、と改めて驚きました。
そして、まるでドラマとかアニメのような紹介の仕方が楽しかった。
このオープニングの中で、霊美(たまみ)という登場人物が
ある特殊能力を持っているのが分かるようなシーンがありました。
2回目の観劇の時、ああ、なるほど、だからあんな行動をとってたのか。
と分かりました。
長女の登場からですね。
長女は大徳織恵、百々麻子さんです。
初観劇では初め姉妹とは思わなかったことは前回も書きました。
エプロンもしてるしお目付役的な存在に見えました、最初は。
この織恵がハエーッと叫んで殺虫剤を噴射するシーンが何度もありましたが
この「ハエーッ」でサクラ大戦歌謡ショウ『新青い鳥』のあのハエーッを思い出したのは多分私だけ
織恵は真砂子に「ここに越してきてからのあなたの行動は常軌を逸してます!」というようなことを言って責めました。真砂子は旦那がありながら男遊びが絶えないようです。そこから織恵と真砂子の言い合いが始まります。その言い合いの中で特に「織恵さんがあんまり何にも無いから私が奮闘しております~」「奮闘する意味が分からない」とのやりとりが印象に残っています。2人とも言い方が面白くてニヤリとしてしまいました。どう面白かったかって、真砂子=西原さんの方は可愛い+にくたらしいというか何というかにくたらかわいい?うーん言い方を真似てみればすぐ伝わるんですが・・・やっぱり文章だけだと伝えるのは難しいな・・・やっぱ観てください。それがいちばん。当たり前。もう終了してるし映像販売も無いみたいだから無理なんだけど・・・
ここで織恵に「いつかしっぺがえし」と言われて「な~んにもしてないのになんでしっぺがえされるの~?」と言う真砂子・・・ってこれは後の場面でしたっけ? いろいろ混ざってきた・・・。どうしても遊びに行こうとする真砂子を阻止するため織恵が「 行かせません」と、玄関への出口の前に立ちはだかったのは覚えてます。「どうしても行くなら私を打ち倒してから・・・」というのは、まだですよね・・・? 後の場面だったように思う
すると真砂子が「もぉ、おねえちゃん!」 ←ここで初めて あ、そうか姉妹だ と思った次第です。わざと名前で呼び合ったり丁寧語だったりして姉妹と思わせなかった? 関係が離れてることを表した? なんとなくどちらかのような気がしますが
「あ、虫」と言って床を指さし織恵をおびえさせ、すりぬけて行ってしまう真砂子。
織恵は虫がとにかく嫌い。苦手。
真砂子の夫、八重垣優(すぐる)登場。のっそりと出てくるといった印象。
少し前の理凪との会話では「野鳥観察」に行ってるはずだった(その会話書いてませんが)。
妻の遊びには全く興味が無いようなボサッとした感じ。
「これ、食べます? この辺の名物」(ちょっと言い方違うかも)と言って理凪に差し出す。何モチだっけ・・・ごへいもち? 「もしかしてこれが夕食?」と聞かれスグルは「いつもこんなもんですよ」と部屋に去る。織恵「どうなってるのこの夫婦は!」と怒りと疲れの混じった言い方で言う。そこで暗転。・・・確かここで「オープニング」に入るんでしたよね。そうですよね。間違っていたらご指摘ください。つづく。
確かカニ五郎の前説より前にも鐘が鳴ったし、前説が終わってしばらくして
暗転し、また鳴ったように思います。記憶が違ったらすみません。
暗転からフッと少し明るくなると「白雪姫」と「しょうのすけ」のシーン。
白雪姫は西洋のじゃありません。純和風です。泉鏡花です。竜の化身です。
その思い人、鐘乃佑(しょうのすけ)は大蛇(おろち)の化身。
野太い声がどこからともなく。「身分違いの恋、許されぬ」と。
鐘淵の鐘が鳴る間、白雪姫は淵を出られない。ということと、
千年の間会うことを許さぬ、ということを喋った気がします。
これも違っていたらすみません。
そして強い力で引き離される二人。互いを呼ぶ声が闇に響く。
暗転から明るくなるとソファにうつぶせで横たわる西原久美子さん。
キター! また会えましたよ。すてきな西原さんに。敬愛する西原さんに。
なんという女神のような横たわり方。普通の服を着た乙女であるのに
なんという女神。このお姿を女神と言わずしてなんというのか、まるで…
きりがないので閑話休題
とにかくその横たわる女神が・・・西原さんがハッと目覚めます。
「へんな夢みたー!」と可愛さをなるべく取り払ったような声で言う。
どうやら白雪姫と鐘乃佑の仲が裂かれる場面は西原さんの夢だったもよう。
西原さん西原さんと言っていますが、役名は八重垣真砂子。
ここからは真砂子と書きます。
確かここでハエが飛んできて「田舎は虫が多くてうっざい もぉ」と言って
ハエを追ったと思います。確か。
そして壁にとまったのを見て「でっかいギンバエ」と言い、手をこすって
いるという細かいところまで観察し、「こんなちっちゃい脳みそでなーに
考えてんだろ」「ハエそれま~で~よ~」といったことを言って履いてた
スリッパをぬいでハエをつぶそうとしたと思います。確か。
順序などが違っていたらすみません。
ここのダジャレには2回目の観劇以降、気づきました。
真砂子はハエをつぶせませんでした。潰そうとしたらキーンという耳鳴り
のような音がして、寒そうにしてソファに戻る真砂子。そして胸をおさえ
ます。苦しそうです。音が止み、はあはあ言って「今日のは凄かった-」
と叫ぶ真砂子。一瞬の後、再びその苦しみに襲われる。
苦しそうなのに「人恋しい」と言い出す。
「こいしいこいしいこいしいこいしい・・・」と体をくねらせながら連呼。
・・・可愛い。
そして解放され、また息を荒げる。「わたしってこんなに情熱的だっけ」
「もしかしてモテ期?」と飛躍する。「私もってもて~」などと言って
ひとりできゃぴきゃぴしている。
可愛いとしか言いようがない。可愛い。
ああいうキャピキャピが自然と似合ってしまうのが西原さんである。
だがそうやって「もってもて~」と言ってる最中に部屋にたーこさんが。
たーこさん=大徳理凪。登場したばかりの時は姉妹とは思わなかった。
「お姉ちゃん」ではなく、「真砂子さん」と呼ぶし。友達かと。
真砂子に「見た?」と聞かれるが「んー?」とよく分かってない様子。
鼻にかかったような声で、「ねえねえ」という特徴ある喋り。
一緒にごはんたべない?と姉を誘う様子。アルバイトして皆勤賞ということ
でもらった牛を差し出す。真砂子が「つづいてたの?」と驚くように言う。
理凪、誰とも喋らずひたすら荷物を移動させるだけでいいの、と説明。
どうやら人付き合いとかが苦手なのかな?と思わせる。
牛肉に最初は喜んだ様子を見せる真砂子だが、急に「うしきらーい」。
理凪は「えー、そうだっけ」と焦る様子。じゃあもらった魚は、と言うが
なまぐさいとの理由でまた断られる。
真砂子はどうも出かけたそう。そこへ長女登場。
確か、この時、ハエーッと叫んで殺虫剤をまいたような・・・
違ったかな?
ギンバエがまだいたんだったな部屋に・・・
記憶が前後してるが、理凪が登場した時にもハエに関する会話があった。
理凪「あれー? でもこれギンバエと違うみたいー」と言った気が。
姉を食事に誘う前かな? これもまた違っていたらすみません。
普通に姉、妹と言っていますが、初観劇では、まだこの時点で
この女性たちの関係を分かってはいないです。
三人姉妹だと分かったのはもう少し進んでからです。
泉鏡花の『夜叉ケ池』だけじゃなくチェーホフ『三人姉妹』も題材だと
分かっていたはずですが、最初から劇にのめり込んでいたので、
すぐに「姉妹」という言葉が浮かばなかったのです。
これは姉妹が互いを呼ぶときに名前で呼んでいたことも大きな原因かも。
これより少し後の会話で真砂子が長女を「お姉ちゃん」と呼んだから
だんだん姉妹だと分かったようなもので。
さて長女の登場については明日。つづく。
なんか感想というより粗筋中心となっていますが、ま、だんだんに感想を。
そういうわけでタイトルを記憶に変えておく
じょやです。
敬愛する西原久美子さんたちの舞台
MOHHch act.2『頭の上のハエを追いなさい』
サイッコーに楽しんできました!
西原さんやっぱ可愛いわ~ サイッキョーに可愛い。
分かりきってることだから書くまでもないのかもしれないが
やっぱり書いておこう
MOHHchの4人の方々もさることながら、ゲストの皆さんも
みんな個性的で楽しくて上手くて、話の展開もおもしろくて、
ラストもすっきりして心温まる終わり方で大満足でした。
MOHHch act.1『遭難、』の感想は「1」で止まっています。
詳しくは後日書きますとか言っておきながら大嘘ですみません。
でももう今はact.2ですから。しかもact.2が終了した所ですから。
感想書くとしたらそちらでしょう。
いやact.1だって書きたいことは山ほどありました。
1年間書いたとしても書き切れないほどあったと思います。
それでは何故書かないのかというと単なる無精です。
あるいは持論がそうさせるのかもしれません。
持論
舞台とはその舞台の期間だけ、その劇場だけで生きている生物。
だから、観てない人にいくら語っても無意味。
その場の興奮と感動は本当には伝わらない。
映像がとってあったとして、舞台を観なかった人がそれを観ても
魅力の半分も伝わらないのだから、言葉だけなら尚更。
楽しい思いをして幸せになるのは観た者だけの特権。
だから語ってもしょうがないのだ、もどかしいだけなのだ。
持論おわり しかしながら同時に
言葉の力を最大限に引き出して語ることが出来れば
きっとその場の全てを表現し伝えられるのではないか?
自分の表現力が足りないのを言葉のせいにするなよ?
という考えも実はあり
ま、いーやいーやなんでもいいや!(名言)
持論はひとまず置いといて順を追って感想を書きます。
まず舞台はゴォ~ンという不気味な鐘の音から・・・
あ、いや、カニ五郎の前説が先だったかな?
とにかくその2つで「あ、夜叉ケ池だな」と思いました。
観劇直前に泉鏡花『夜叉ケ池』を読んだのです。
閑話休題
カニ五郎の前説はいきなり楽しかったです。
おひけえなすっておひけえなすって。~しておくんなせえ!
そんな喋り方で携帯の電源のこととか地震が起きた場合の注意と
か真面目に語ってました。カニ五郎、元気で良かった。
カニ五郎の注意事項に対してヘイがってんしょーちのすけとか
合いの手を入れたくなりました。
プロローグは千年前の「龍とおろちの恋」から。
しかしここで力尽きたのでいったん就寝(つづく
①11月
(協)日本俳優連合 チャリティー・イベント 東日本大震災復興支援 2013
12月より前に西原久美子さんに会いたい人は上記を検索→「当日の予定」を見る。
11月3日。 これは、どうなんだろう、東北人が行ってもかまいませんか…?
天の声「かまわない」よし行こう。しかし、抽選です。当たるといいなー。
②12月
12月の方は、これはもう前々から分かっていますから絶対に行きます。
既にリデルプロジェクトおよびmohhchの方で紹介されていますね。
MOHHch act.2
「頭の上のハエを追いなさい」~endless love ♥ forever~
2013年12月4日(水)~12月8日(日)
劇場:八幡山 ワーサルシアター
おもしろくてサイコホラーで考えさせられる舞台でした。
そしてまた間近でお会いした西原さんは、相変わらず可愛くてキラキラしてました。
そのお姿をちょっと見ただけで緊張と感情の高ぶりで固まるわ溶けるわ大変です。
間近だと尚更です。
今回の役柄はしかし、その可愛らしさを出来る限り封印せねばならないような役でした。
「陰気な教師、石原先生」。
この世に西原さんと「陰気」ほど相容れないものがあるでしょうか。
どんな役の時も、どうしても可愛らしさが滲み出てしまうのではないかと思うのです。
しかし、そこはさすが、演技で抑えて見事に陰気な教師を演じておられました。
でもただ陰気なだけではないです。
普段は陰気で口数少ないのに、気持ちが高ぶると饒舌になり、結構動き回る。
たーこさん演じる「狂気の先生」との激しい対決(?)も見物でした。
この狂気の先生について、およびどんなやりとりがあったかは後日書きます。
石原先生は私が勝手に思ったところでは
「学校の仕事にドップリ浸かりすぎてファッションや何かを全く気にしなくなったけど
もしおめかししたらきっと綺麗なお姉さんに変身!するであろう20代半ば~30ちょ
いの先生」という感じでした。あくまで私が感じた印象です。 じょや
V-NET Cチーム『青い時間』について 追記
「べつに!」という、お人形さんのセリフが耳に残っている。
そうなんだ、別に用は無かったんだよ。
もし「サニー」があの場にいなかった場合、人間たちとはかかわりがない。
「ゴミ」たちは次の日には熱処理され、人間たちはどこかへ逃げる。
役目を終えて全て諦め、消えゆくモノたち。
何をしていいか分からず希望を見いだせず、逃げ去る者たち。
両者の運命は交差することなく、ただ平行線のレールの上、暗闇へ突き進むのみ。
でも、べつに! べつにそんなこと、どうだっていい。
世界はただただ回り続けるだけ、何も変わらないし、何も残らない。
偶然、サニーがいたから、たまたま、人間たちは希望を見いだせた。
モノたちの運命は変わらないが、人間と心通じ合えて、気持ちのいい別れができた。
それでも、気持ちをぶつけあわなかったら、何も起こらないままだったろう。
気持ちを吐き出したからこその展開だったわけだ。
現実でこういうことは起こり得るだろうか?
自分にあまりかかわりがなかったり、めんどくさかったり、恐れたりして。
それで、「べつに!」のまま、心を表現せず、ぶつけず、ただ、すれ違う。
そういうことの方が、多いかもしれない。
だから人の世には、「そんなにうまくいくはずがない」とか、
「ハッピーエンドは全てご都合主義」などという、暗い考えが生まれるんだろう。
殻に閉じこもり何もせず、立ち向かわず、諦めてたら、希望が無いのは当然。
奇跡が起こる筈もないのに。
「べつに!」が「会えて良かった!」になるのは、そんなに難しいことか?
最近「べつに!」が多い自分の人生、自問してみるいい機会。 じょや
たいへん凄いエネルギーをもらって帰ってきました。行って良かった。行けて良かった。
もちろん我らが女神・西原さんからエネルギーをもらいまくったわけですが。
西原さんが参加した以外の2チームの劇も非常に見応えがあり良かったです。
Aチームは、得票数はB・Cに比べ多くなかったようですが、私はあの話、面白かったです。
舞台である「倉庫」に、さまざまな時代、さまざまな形で関わった人間たち。
彼らそれぞれの特徴が話の中で生かされていて、そこに織り成される人間模様がいい感じ。
そしてあのRPG的劇中劇の「ラスボス」役になった女優さんのテンションが気に入りました。
Bチームは、はじめハチャメチャな感じかと思ったら、次第に現実の悲哀をこれでもかと。
介護の現状…いや、現実の中でもあそこまでの悲劇はなかなか無いかもしれません。
ただ、あそこまで劇的でなくても、じわじわとくる悲劇は、多くの人が味わっているでしょう。
人はどう生き、どう死ぬのか。誰もが身近な人の幸せを願う、しかしどうすれば良いのか。
自分が生きることで人の幸せを奪っているのではないか。 幸せとはどうすれば与えられるのか。
テーマが重い、重すぎた…かも知れません。しかし前半はだいぶ毒を撒き散らしフザけてました。
あのフザけ具合が、自分の中ではマイナス…でも、重すぎるテーマを笑い飛ばす気にもなれた。
だからか、あの悲惨な終焉にスッキリしないにもかかわらず、あまり後味の悪さは引きずりません。
よく、ああいう重い話だと、見終わってから「考えさせられる…」などとつぶやくのですが…
今回のこのBチームの劇は、「考えさせられ」は、しなかったんです。
考えようが考えまいがこれが人の世だよ、なぁ? てやんでぇ! という感じで(どういう感じ?)
呑もう、考えてないで、呑むしかないよというような。
まぁ引きずらなかったのは、Cチーム・Aチームのほんわか空気によるものが大きいかもですが。
Cチームは2回観ました。2回といわず何回も…できれば毎回観たかったんですが。
モノにも心がある、それは私が幼少の頃より信じてきたことでもあります。
モノを見て語りかけられ思い出し、大切な何かを取り戻していく人間の姿。
モノは決まった役目しかできないが、人間は何でもできるじゃないかというのは、確かに響く。
西原さん演じる「サニー」は、ポータブルカセットプレイヤー(ウォークマンとは言いたくない?)
サニーが人の耳に手をあてて「音」を聞かせるシーンは実に名場面であると同時に羨ましさMAX。
齋藤さんのお人形の「こいつバカだ」が気に入ってしまって耳にずっと残っていたり
銀行強盗メンバーの痩せてヒョロッとした人の風貌が独特で一挙手一投足が気になったり
岡田さんの、なんといいますか「しなっ」とした動きに目を奪われたりもしましたが
やっぱり西原さん最強だなあ 西原さん観てると癒されて元気も出て自然と顔が綻んでしまう。
急に「魔法使いのお姉さん」になったり「ラジオ」になったりする所、今回特に楽しめた部分です。
劇の始まり方ですが
いきなり銀行強盗とか警察が踊りながら戦ってるし
後ろで何か奇妙な格好をした人形っぽいのやロボットっぽいのがはしゃいでるしで
よく分からない状況の筈なのに、瞬時に、次々に、心に滑り込ませるように自然に状況を
客に把握させていくのは流石のストーリー、流石の演出、そして流石の役者さんたちだと思いました。
銀行強盗関連の「茶番」も、実に愛すべき展開です。要するに悪人にはなりきれない若者たちだった。
そのように、人間はどうも何者にもなりきれない、どうやって「何者か」になるべきなのかを知らない。
役割がはっきりしているモノたちと、どうしたらいいか迷う人間、どちらがいいのか?
迷うことが生きること、そうだとすれば、自分もまだまだ死んではいない、と思えます。
ガラクタたちは、最後、持っていってあげればよかったんじゃ…とも思います。が…
持って行っても使わないんじゃ、却って… いや、それでも心があると知ったモノを置き去りになんて…
そのあたり、「考えさせられ」ました。観劇から2日経って、今でも考えています。
モノは人間を勇気づけて未来へ送り出したけれど、自分たちは消滅する…もの悲しいです。
ご都合主義でほんのりハッピーに終わるのかと思いきや、じつは。
そこはかとない悲哀を醸し出していると思います。