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関係ないですが
ネットショップで、本とかマンガとかゲームとか音楽とかの批評を購入者が書いてる文章。
あれ、もう読まなくていいや。的を得てるのもあるかも知れないが、なんか腹立つの多い。特に、
その作品とか登場人物とかが気に入らないからってゴチャゴチャと文句を書いてあるようなヤツ。
風評被害製造器ですね。
あんな文章に左右されずに、買いたいものは買うし。
買うかどうか迷ってても、百聞は一見にしかず。買ってみなければ分からない。
というかあれらのコメントで批判されてたからって、その品を買うのをやめたことがない。
褒めてるコメントはいいけども、もともと自分が買いたい物だからあまり読む意味は無いし…
以上のことから、私にとってあれらのコメントは読む必要がないものと決定いたしました。
イースVS空の軌跡 デモムービーにレンちゃん少しだけ登場
http://www.youtube.com/watch?v=SEBZbZQYT8o
じょやです。予約はソフマップ通常版にしてみました。
なぜならテレカの下絵にレンちゃんの姿が垣間見えたからです。
ドラマCDは…とりあえず出演者欄にレンちゃんがいないので保留!
空の軌跡マンガ第9話にあの少女が登場!とのことで
http://www.yomban.jp/works/eiyudensetsu/
すごいですね、ゲームでのストーリー展開に割り込ませ、
しかも自然な感じで登場です。みんな大好きなんですね(笑。
「え! でもヨシュアいるのに今対面しちゃったらどうなるんだ」とか思いましたが
なるほど、こういうわけですか…
とにもかくにも脳内再生で楽しみました。
テレビの影響で過ちを犯し、テレビによって断罪される。
テレビが何かを褒め称えれば、よく知らないのに「そうだそうだ」と喝采し、
テレビが何かを批判すれば、知りもしないのに「そうだそうだ」とわめく。
政治や社会に文句があっても、テレビが代弁してくれていればそれで納得し、動かない。
テレビが全ての問題を生み、運ぶのに、テレビが自分でそれを疑似解決してしまう。
民衆はテレビがあれば安心だし、騙されてるとうすうす気づきながらも半ば諦めている。
テレビは恐ろしい。インターネットなんて、テレビに比べればまだまだ若造。
できの悪い子分みたいなもの。そのうちテレビを超える悪党に育つかも知れないが。
我々は報道の偏りに気づけるだろうか? 番組や宣伝の善し悪しを見抜けるだろうか?
例えば、ある時期、ある動きをテレビは持てはやす。
しかし後になって取り返しがつかなくなってから、やっぱりだめだと批判しだす。
見ている人間は、テレビが持てはやしていた頃はうんうんとうなずき、
テレビが批判しだしたら、やっぱりだめだだめだと叫び始める。烏合の衆だ。
国民は政府に…と言うより、テレビをはじめとするメディアに騙されているってことになる。
という夢を見ました。 じょや
なんか…スポーツで負けた監督とか選手に「多くのファンに対してどういった気持ちか」と聞くのって
…見てるとイライラします。意味ありますか?あれ。「すみません」て言うしかない気がします。
イライラすると言えば、非実在がどうのこうのといって、なんだかよく分からないものを規制をしようと
する動きがどっかであるみたいですね。どうしたんでしょうね。なにか混乱してるんですかね。
そんなことより、明らかに卑猥な雑誌を平然と前面に並べているコンビニを規制してください。
ゴールデンタイムなのに卑猥な発言を連発してゲラゲラ笑っている芸能人連中を規制してください。
中高生相手にタバコや酒や派手な装飾品や化粧品なんかを平気で売ってる人々を規制してください。
非実在に時間を割く前に、実在する犯罪組織や非行集団を規制してください。
やることの優先順位が全く分かってない、またはやりにくいことは全て人任せ。
そんな人々がこの国を動かしている。その事実を、我々もよく考えなければ。
以下、微妙なバレを含むと同時に、『空の軌跡』PC版をプレイした人でないと理解しにくいかも。
星の扉の内容は、何度でも見ることができる。しかしパソコン版では1度しか見なかった。
この15番目の扉の内容は、殲滅天使レンの悲惨な過去を描いており、衝撃が大きく…
2度目を見る勇気がなかったのだ。
PSP版では、その内容から「最も悲惨な部分」をカットしてあるという情報があった。
どの程度カットされているのか? あまりにカットしすぎたら内容が伝わらないんじゃないか?
などという憂悶もあり、PSP版でせっかく到達したので、勇気をもって見てみることにした。
「最も悲惨な部分」は、文字通りカットされており、「救い出されるシーン」から描かれていた。
肝心な所をカットしすぎでは…という憂悶は、無くなった。その心配は、個人的には、無いと思う。
ヨシュアの言葉や、SCの内容から、レンがどれだけ非道い目にあったかは想像できるはず。
具体的なことは想像できなくても「想像を絶するほど、つらい運命だったこと」は分かるだろう。
そしてこのストーリーを作った人が何を伝えたいのか、感じ取れるだろう。
感じ取れないとしたら、読解力や想像力がまだ乏しいのだろう。
少年たちよ、心がもっと成長したら、もう一度よくレンやヨシュアやレーヴェのセリフを読んでみたまえ。
ところで、「最も悲惨な部分」がカットされていたせいか、「最も腹立つ部分」が非常に目立った。
それは、レンの両親の発言である。いや、パソコン版でも充分に腹立った覚えはあるが。
救い出される前と救い出される時の様子があまりに衝撃的で、そちらにばかり意識がいっていた。
そういう訳で、PSP版ではこのろくでもない両親の発言に異様なまでに怒りを覚えたようだ。
画面をぶっ叩きそうになる衝動にかられた。怒りにふるえた。
レンをあんな運命に陥れておいて…
「あの子の事は忘れよう」「女神様は私たちを見捨てなかった」だと?
ふざけるにもほどがある。呆れてものも言えなくなる。
我が子を身売りするより、自分たちを身売りしろと言いたい。
…現実世界にも、この両親のようなのは、いるのだろうか?
いるんだろうな、やっぱり。なんか、そんな気がする。そういう輩は、みんな俺の敵だ。
「執行者」はどんな行動も許されている。しかしレンはその両親に何もしなかった。
にせものの両親だと言った。そういうふうに考えることができただけでも、良かった…のだろうか。
レーヴェの言う通り、屠る価値もない両親だから。レンちゃんの手を汚す必要は全くありません。
その「記憶」が終わった後の、雨のシーンでは…
やはり、泣きました。レンちゃん、いじらしすぎます。
雨のシーンだけじゃなく、そこまでの流れでじわじわきていたわけですが。
このあたりも声が入る機会があればいいのですが もうこれ以上ドラマCDは無いのだろうか
英雄伝説「空の軌跡」3作の続編として「零の軌跡」というタイトルが発表されました。
さて…これは…どう展開するのでしょうか。なるべく、なるべく心を落ち着けて考えてみよう。
レンちゃんまたパーティメンバーになってほしいとか
レンちゃん中心のエピソードがあってほしいとか
主役でないなら2周目か何かでレンちゃん視点で進められたらいいのにとか
そういう過度な期待というか妄想ばかりしていると、やきもきして物狂おしいので。
普通に考えたら、レンちゃん再登場「だけは」ある!と思ってるんですがね。
ここまで期待させて引っ張ってファン心をくすぐりまくっておいて、続編で登場なしとか…
それは…ない…よね? まさか…ね…はは、は…
レンちゃんの話はひとまず一段落? いや…そうとも言えるけど…
ほっとけないよ。ほっとけないでしょう…
レンちゃんに、静かに考える時間を与えたい?
いや…それはごもっともですけど、そう、なんですけど…
ここまで来て、後はご想像におまかせします は 無い と 思うんだ
自由な想像に任せた方がいいなんて話じゃないと思うんだ
レンちゃんの孤独な旅をどうにか完結させてあげないと…
……ん? 完結しちゃったら、それこそその先は無いってか…?
いやいや… うーん、でも…
確かに、このまま、戸惑いながら“かくれんぼ”を続けるレンちゃんと
それを追いかける例のカップルを延々と描きつなけるってのも良い気もする。
(空の軌跡シリーズをきちんと味わった人にしか分からない表現)
そうなるとルパン三世と銭形警部のように永遠に「近づいては離れ」を繰り返しつつ
この先の英雄伝説シリーズにもちょこちょこ登場し続けるってことに……
それはそれで いいのかも…?? すると、そうか、完結しなくてもいいのか。
でもなあ… レンちゃんが優しさに包まれて「家族」の一員になる姿を見たいわけで…
しかし、そういうことになったとしてさえ、レンちゃんの闇の部分は消えないと思う。
それだけ深い闇だから。悪魔よりもさえ黒い何かを抱えてしまっているから。
…ここで、罪は消えないってことですねなんて言う勘違い人間がいそうですが。
そうではありません。レンちゃんに罪なんて無い。「闇」であって、「罪」ではない。
レンちゃんが何をしたって、世界は、レンちゃんを許すしかないんです。
なぜなら、「世界」がレンちゃんに与えてしまった地獄の方が遙かに罪深いから。
比べることさえ馬鹿げているほどに、「世界の罪」は深いから。
だから、レンちゃんが大鎌をふるい、暴れ回り続ける姿を、もっと見たいというのもある。
もっと、もっと、世界をびびらせ、めちゃくちゃに壊しまくる姿も見たい。
レンちゃんに非道い仕打ちをした「世界」って奴を、後悔させ、ひれ伏させ…
これ以上「悪い」ことをさせたくないっていうエステルやティータの気持ちも分かるが。
それと同時に、じゃあ「世界」の犯しちまった罪は誰が裁くんだ? という疑問が収まらない。
レンちゃんには、「世界」を裁く権利と資格と理由がある。
レンちゃんに裁かれるなら、「世界」も文句を言えない筈だから。
話がだいぶ逸れた?が、とにかく…
あまり期待しすぎず、かと言って諦めもせず、新作の詳細を待ちたいと存じます。
じょやです。
たまたまテレビがついていて、変なドラマを見てしまいました。
途中まではどうということもありませんでした。つまらないギャグもほほえましく見てました。
ところが、終盤の展開で気分が悪くなり、吐き気さえしました。
可哀想な親子が、さらに可哀想なことになり、しかも罪のない女の子が無惨に死にました。
それだけじゃなく、誰もその親子を本気で助けようとしてないように見えました。
その後、誰ひとり本気で悲しむ描写もなく。ただただギャグ調のまま進んでいく様は…。
思わず えええええ… と、呆れと怒りが入り交じった声を発してしまいました。
その後も笑わそうとしてるシーンばかりでしたが、ちっとも笑えるはずもなく。
親子を死に追いやった集団は、何の反省も進歩もなく、そのままばかみたいに暮らしてるし。
なんなんだろうか。この物語は何を伝えたいのか。いやこんなの物語と呼びたくない。
こういう、人の死を軽々しく描く非道い作品こそ問題視すべきじゃないのか。
人が死ぬ人数を言ってるんではない。死ななければ良かったとか言ってるんでもない。
実際、娘だけでも助ける展開なら救いがあったでしょうが、それよりも描き方に問題がある。
死んでしまったら死んでしまったで、周りの反応とか悔やむ姿とか、そうでなかったら
誰かがすごく怒りをあらわにするとか、そういうシーンが必要だと思うのです。
だれもおかしいと思わないのだろうか? だったら人類や世の中が間違っている。
…それとも、あれか。
今の時代、人が辛い目にあってようが死のうが、他人なら別に関係ない感じだってことの描写?
実はそういうことをさりげなく語ってる? …それなら、うなずけます。
<ウロボロス・レポート> 27日に発売
http://www.falcom.co.jp/info/staff/index.html
↑ 西原さんのコメントもありますよ
じょやです。レンちゃん服やぶってごめんなさい。申し訳ありません!お許しください。
いや許さないでください。殲滅してください。どうかこの私めをギタギタに殲滅
しかしレンちゃん登場までの道のりは長い。
それにしても3rdをやってから1をやっているので
あの人物はこうやって登場したのか~と 妙におもしろい感じも。
★レンちゃんの情報
「イースv.s.空の軌跡」 2010 7/29発売
ファルコムの情報
http://www.falcom.co.jp/kaisya/ir/index.html
電撃プレステvol.468
http://dps.dengeki.com/new/
★BANDAIの1998年の…
「テイルコンチェルト」というゲームを冒頭だけやってみました。
フレア・プリスという役で西原さんご出演。
これもまたハマリ役ですね。かわいいです。
しかも子猫がいっぱい出てくるんだが その声も西原さんなんで、
だいぶ耳に幸せが。アクション苦手ですがこれは頑張ろう。
しかしプレステ本体あるいはコードか何かが調子悪い…画面が途切れる
プレステの起動は、久々だった…
2010年 3月6日 「サクラ大戦」帝都ライブ開催です。
詳しくは、サクラ大戦公式ホームページにて。
つきましては エル・イリゼ
(アイリス=西原久美子様ファン有志一同)として
フラワースタンドを贈ることを企画しておりますので
参加される方はトップページの「メールはこちらへ」
からご連絡ください。 しすい&じょや
「助けることは俺たち××にしか出来ないんだ」または
「助けられるのは俺たち××だけなんだ」が普通だと思います。
なんかのドラマの宣伝で連呼されたので、気になりました。
「せざるを得ません」が「せざるおえません」を通り越して
「せざるを負えません」なんて言う人もいる時代だから仕方ないか。