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にっちもさっちもいかなくなってセーブデータを「初期化」しました。
つまり、もう一度最初から、です。
まあ、まだ「第3話」です。まだまだ。(何話まであるか分からないけど)
どうして初期化かというと、セーブデータを複数残しておけないからです。
常にひとつ。だから、「あ、やっちまった! もどってやるべー」が出来ない。
しかも今まで、アイリスの可愛いとこが見られるシーンにすぐ行けるように
いくつものセーブをとっておいたのが日常だったので、これはきつい。
なかなかに厳しいシステムです。
「見回り」でアイリスに会えなかったから、やりなおし~
…な~んてことも、出来ないわけです。
なんだか「昔のゲーム」思い出しました。
いや、同じようなシステムに心当たりがあるわけじゃないですが
なんとなく昔っぽいんですよ、このさりげない厳しさが。
そして…ダンジョン内で武器改造とかに来てくれる加山ですが…
一本道で、じっと立ち止まられると…えーと…進めません。
だからって電源切ったら「ダンジョンで倒れたことになる」し…
こういう「とおせんぼ」も昔のゲームによくありましたよね。 じょや
じっと見ていてください。たいへん可愛い様子が見られるよ。
こんどはドラマチックダンジョンだ。
このゲームのためにDS本体も買いました。
なにゆえに黄色が無いんだ。黄色が出たらもう1つ買う。
それにしても昔のドンキーコングとかを思い出してしまう。
ドラマチックダンジョンはまだ始めたばかり。
まだちゃんとどっぷりと入り込んでいないですが
ドット絵のアイリスちょこちょこ可愛い。
声が出るのが多いのを期待したいところ。 じょや
太正浪漫堂とサクラカフェがその幕を閉じます。
サクラ大戦ファンにとって聖地であった場所です。
東京に住んでいれば毎日のように行っていたことでしょう。
地方なので電車賃や暇のなさなどの要因から、なかなか行けませんでした…。
アイリスファンである私は、いつか7月5日に行ってやる!と思っていたのですが
それももう叶いません。せっかく今年はちょうど休みの日なのに。
西原さんがトークショウをされる3月14日にも、行けない。残念です。
そういうわけで先日、最後の訪問に行ってきました。
等身大のアイリスに挨拶。
閉店の後は、どこにいっちゃうのかな…
ついつい、商品をいろいろ購入。アイリスのスケッチブックは複数購入。
そういえば最初はフロアの一画に過ぎない小さな店だった…と思い出す。
ポイントを交換。携帯画面を拭くものらしいが勿論拭かないで飾っておく。
サクラカフェで注文したのは、言うまでもなく
★アイリスの焼きタルト フルーツでこれーしょん!★
★ノンアルコールカクテル・アイリス★
今回は他のものはたのみませんでした。アイリスおんりー。
焼きタルト、やはり絶品です。味も見た目も最高にアイリス的。
これがもう食べられなくなるとは… 惜しい、惜しすぎる。
まだ食べたことがないアイリスファンはぜひ、ぜひ…閉店までに。
ノンアルコールのアイリスも独特の味わいで大好きなのに。
これも飲めなくなるのか… まねして作ってみるか…
記念のコースター、新しいのをもらいました。いい出来です。
★アイリス・ラムネの歌★を飲まなかったのが心残りですが…
さすがに飲み物2つたのむと腹の中が湖に。(やったことあるけど)
まあ、ラムネは初期のころたくさん飲んだからいいかな…
と思うようにしましたが、帰り際に、壁にあるアイリスのサインを見ると…
ああ・・・たのんでおけばよかったか…と後悔。
まだ3月末まであるか… も、もういちど行っておこうかな…
と本気で考え出す… じょや
アイリスの霊力は「おねがい」。
アイリスが強く願ったことが実現する。
これはできるとか、あれはできないとか、
細かく分析できる類のものではない。
うんと小さな頃は寂しさを紛らすために物を動かした。怒ったり、悲しかったり、驚いたり怖かったりで自分の身や心を守るために物を壊したり吹っ飛ばした事もあった。
今のアイリスはどうだろうか。
まぁたまに暴走することもあろう。
でも今のアイリスは自分の霊力を本当の意味で分かっていて、人のために使っている。仲間を守るために使っている。それは優しい心から生まれる。
みんなの愛情に感謝する気持ちから生まれる。だからアイリスの霊力は優しく、やわらかくはたらく。霊力は心の力だから心を映しているのだ。
『新・青い鳥』『跳んでる花組』と
観て考えたことです。 じょや
祝い太鼓、すごかったです。花組が舞いながら叩いてました。
それにしてもアイリスは、どうしても可愛いです。
太鼓をたたいてあんなに勇ましい様子なのに、同時に可愛いのです。
ううむ、どうしたらいいんだ。可愛い。
2006新春歌謡ショウ
私の感動の最高潮は第1幕。3回観て3回ともぼろぼろ泣きました。
アイリスが、ある長いセリフを言うのですが、
内容も言い方も涙なしには聞けないものでした。
声が直接頭の中に響いてくるようでした。
「そうか、だからアイリスは大人になろうとしたんだ」と
泣きながら考えました(追記:詳しくは跳んでる花組のレポート参照)。
アイリスは、大切なみんなのためだったらどこまでも頑張る。
健気だ。果てしなく可愛い。自分が客席で観てるだけなのがもどかしい。
後半は笑いと歌で、だいたいいつも通りの新春ショウという感じでした。
少し肩の力を抜いて楽しめました。
でもアイリスは、あるコーナーで日替わりで色んなことに挑戦していて息を飲みました。
ああ全部観たい。全部余すところ無く収録してくれないかなDVD。 じょや
「アイリスが好き」と比べて、「アイリス萌え」というのは、
ずっとレベルが下の、軽~い言葉だと思ってました。
が、あまり深く考えず「萌え」という気持ちも「好き」の一部だと
思えばいいんですね、私の場合は。たぶん。そうすれば「萌え」という言葉を嫌わなくてもいい。
アイリスが好き、大好き、という気持ちの中のある部分に「沙悟浄の衣装を着ている様子に萌えた」という気持ちが入っていてもいいかなと。ただ、そういうわけで飽くまで部分ですから、
全体は「アイリス大好き」であって「萌え」ではありません。
joya
「アイス」なんて、打てたものではない。「リ」を跳び越えて「ス」だなんてあり得ない。気づいて思い留まったとしても「あいr」である。その時は「アイリス」と最後まで打ってしまわなかった自分に腹立たしささえ覚える。
逆に「アイリス」と打ってしまった時は、間違っているというのに満足げな笑みさえ浮かべるのである。「あ、またやっちゃったよエッヘッヘ」端から見たら気色悪いだろう。自分は本当にアイリスが好きなんだなぁという再確認。くすぐったさ、照れくささを感じる。
「ア」ときて「イ」まで打ったらもう「アイリス」と打つのが自然である。airisuという6つのキーを打つ動きが指にしみこんでいて、流れるようにリズム感を持ち、その動きに快感を覚えるほどになっている。「アイリス」と打った時の心地よさといったらもう至上のものである。
「ア」だけだとまだそこまでは到達していない。「明日」とか「赤色」とかはまだ普通に打ち込める。だが、たまに「a」の後「i」に指が行こうとするのを感じる。時間の問題かも知れない。
「a」は左の小指、「i」は右の人さし指で、順番的にも非常に打ちやすい。「アイリス」と入力する順番は 左小指 右人さし 左人さし 右人さし 左薬 右人さし。
結構参加していない指が多く、参加している栄誉ある指に対し嫉妬が深い。たまにこっちも使っておくれよと他の指が叫ぶのだが、「アイリス」と流れるように素早く打ち込みたいので、無理な相談だ。joya
青い鳥の作者はメーテルリンクで、星野鉄郎と一緒に旅をしたのはメーテル。
そういやなんか関係あんのかな…と思って調べてみたら、やはりありましたね。
メーテルの名はメーテルリンクからですか。なるほど。
ギリシャ語で「母」を意味する言葉でもあるとのことですが。
そういや何かこう同じようなテーマを持ってる気がします。「青い鳥」と、「銀河鉄道999」、
そして「銀河鉄道の夜」。幸せを求めて旅をする2人。
チルチル&ミチル、鉄郎&メーテル、ジョバンニ&カムパネルラ。
ほんとうの幸せとは何だろう?
どの作品も壮大な問いかけをしておいて、答えを出すのはそっちだかんね、
と託されてる気がします。帝国歌劇団花組の『新・青い鳥』も「答え」を出してるようでいて、
実は本当の答えは君の中にあるんだよと言っているような。
アイリスは自分で答えを出している。俺はまだまだ追いつけそうにないです。 joya