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かわいいエリザベスとオトナなエリザベスの切り替えがすごいと書きましたが、
ほんとうにすごいんです。すごすぎるんです。
特に印象に残ってるのがブラックマリアの説明をアランにするシーン。
真っ暗な中でかわいいー声で話し始まって、明かりがつく時にオトナに入れ替わる。
一瞬ですが、その中間もあったと思います。
一瞬の間に、夢の中に生きた子役のエリザベスから今のエリザベスへ。
まさに映画を観ているようでした。

エリザベスは女優だから、生活が幸せでも「ほんとうの幸せ」じゃない。
女優としての幸せは、やはり夢の中に生き続け人に夢を与え続けることだ。
エリザベスを崇拝してるアランでも、途中までそれに気づかなかった。
気づいた時、彼女の願いを叶えたい気持ちが、さらに強まったのだと思います。

ブラックMは一見、人と人が文句を言い合い、いがみあい、騙しあってる劇に見える。
でも実は、ヴィンセントのアランへの思い、アランのエリザベスへの思い、
エリザベスの周囲の人々の彼女に対する思い、エリザベスの付き人に対する思いなど
ほんとうはすごく優しさに満ちた劇なんだろうと思う。
どうにかして表舞台に引っ張りあげたい、なんとか夢を叶えてあげたい、
そういった気持ちが互いに作用しあって、あの劇の根底に流れるものを作っている。
だからこそのあのラストシーン、だからこそのハッピーエンドであるのだと思う。

 アランについて
アランの、エリザベスをめちゃめちゃ崇拝している様子には共感。
ところどころに出ていました。
ブラックマリアの話を聞いている時のメロメロな様子とか。
似てないモノマネに怒って椅子をふりあげる所とか。
彼はエリザベスからたくさんの夢をもらって生きてきたのでしょう。そして映画からも。
カーク船長からも。その彼が、自分の人生がイヤになって死のうとした。
人はいくらたくさんの夢をもらっても、死のうとするものなのか。
人に迷惑をかけるだけと言うが、つまりは不幸な自分を呪ったんだろう。
自分を諦めたんだろう。 それでも一度救われて、それからだんだん気づいていく。
「被害者意識は、なにもしないやつの自分への言い訳。」
でも、そう気づいたにもかかわらず、ヴィンセントに厳しい事を言われ落胆。
…夢を人に与えるには、カネとチャンスが必要。でもアランは大切にしたかった。
エリザベスの夢を。自分の純粋な夢を。カネとチャンスを拒否した。
そのとき出会ったのが、不思議な人物。
カネとチャンスにかかわりなく、話づくりに没頭する人。
そこで、意識したかどうか分からないが、悟ったんじゃないだろうか。
夢は作ればいいんだと。
カネもチャンスも巻き込んで、みんなが、自分が、幸せになれる夢を。
カネとチャンスも、人の思いが無ければ動かないのだから。
人の優しい思いを、強い願いを、みんな集めて宝を作る。
そういうふうに彼は考えたのではないかと、勝手に解釈するわけです。
そしてあのラストへとつながっていくのだと思います。    
joya
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